平成 29 年度 教育要覧 佐久市教育委員会
目 次 Ⅰ 佐久市の概要 1 佐久市の沿革 1 2 位置と地勢 2 3 気候 3 4 人口と世帯数の推移 3 5 佐久市合併系図 4 Ⅱ 教育委員会 1 教育委員 5 Ⅲ 教育基本方針 1 佐久市教育大綱 6 2 佐久市教育振興基本計画概要 8 3 佐久市が目指す将来都市像 13 4 佐久市学校教育の目指す方向 13 5 佐久市社会教育の目指す方向 21 Ⅳ 教育行財政 1 教育行政の歩み 23 2 平成 29 年度教育委員会機構図 30 3 平成 29 年度教育委員会事務局等職員数 31 4 教育委員会及びその付属機関等 32 5 平成 29 年度教育委員会事務局等の事務分掌 35 6 平成 29 年度佐久市一般会計予算の状況 38 7 平成 29 年度教育費予算の状況 39 8 平成 29 年度教育費予算対比表 40 Ⅴ 学校教育 1 小 中学校名および所在地 学校長名 通学区 41 2 小 中学校別児童 生徒数 学級数一覧 ( 平成 29 年 5 月 1 日現在 ) 43 3 小 中学校別教職員数一覧 44 4 小 中学校別建物等保有状況 46 5 教職員住宅一覧 47 6 学校給食施設一覧 48 7 各種施策の推進 50 学力向上事業 50 体力向上事業 50 生徒指導事業 50
教師等の力量向上事業 52 国際理解教育 54 健康 安全 56 教育扶助 58 奨学制度 60 8 統計資料 61 平成 29 年度小学校 17 校 中学校 7 校の教育目標 岩村田小学校 63 佐久平浅間小学校 64 中佐都小学校 65 高瀬小学校 66 野沢小学校 67 泉小学校 68 岸野小学校 69 中込小学校 70 佐久城山小学校 71 平根小学校 72 東小学校 73 田口小学校 74 青沼小学校 75 切原小学校 76 臼田小学校 77 浅科小学校 78 望月小学校 79 浅間中学校 80 野沢中学校 81 中込中学校 82 東中学校 83 臼田中学校 84 浅科中学校 85 望月中学校 86 Ⅵ 社会教育 1 生涯学習社会教育事業 87 生涯学習推進事業 87 青少年健全育成事業 88 青少年補導活動事業 89 ふるさと創生人材育成事業 91 少年センター事業 93
2 文化振興文化振興事業 94 文化施設管理運営事業 95 佐久市生涯学習センター 95 佐久市コスモホール 96 佐久市交流文化館浅科 97 佐久市鎌倉彫記念館 98 佐久市天体観測施設 ( うすだスタードーム ) 99 佐久市臼田文化センター 101 佐久市五郎兵衛記念館 102 佐久市立天来記念館 102 佐久市立望月歴史民俗資料館 104 佐久市川村吾蔵記念館 105 3 文 化 財 文化財保護事業 107 指定文化財一覧 107 国登録有形文化財 112 国史跡 重要文化財旧中込学校及び資料館 112 ガソリンカー及び蒸気機関車 114 島崎藤村旧宅 114 国史跡龍岡城跡 114 文化財調査事業 115 佐久市の遺跡と歴史年表 118 4 社会体育スポーツ大会 スポーツ教室等の状況 120 体育施設の利用状況 125 社会体育施設 128 5 公民館事業方針 130 中央公民館 地区館 131 佐久市地域公民館活動組織図 131 公民館の活動 132 市民会館等 136
6 図書館佐久市立図書館の概要 137 図書館別 分類別蔵書冊数 138 利用状況 143 7 近代美術館 主要事業 144 近代美術館の概要 145 8 人権同和教育事業方針 148 人権同和教育 啓発事業 149 同和対策集会所 150 人権同和対策 人権同和教育の推進体制 151
Ⅰ 佐久市の概要
1 佐久市の沿革 佐久 の名が初めて記録に現れるのは 1500 余年前に編さんされた 我が国六国史の一つに数えられる 三代実録 です 次いで後醍醐天皇の時代にできた延喜式中にも記されており 有史以前の石器使用民俗を実証する数々の遺跡も発掘され 縄文時代以後の遺跡は市内いたるところに散在しています 平安末期から鎌倉時代にかけて大井庄 伴野庄 平賀庄などの荘園の繁栄がみられます 応仁の乱後 更埴地方に勃興した村上氏の治下に入りましたが後に 甲斐武田氏の支配下となりました やがて徳川幕府となり 天領 私領が錯綜し 変遷は複雑をきわめています 明治 4 年筑摩 長野の2 県となり 佐久は長野県管轄となりました 佐久支庁を岩村田に置き佐久郡を管轄しました 明治 9 年に2 県は合併され長野県となり 佐久支庁を廃し佐久取締所となりました 同年 12 月には佐久取締所を廃し佐久郡を二分し それぞれの取締所が岩村田と臼田におかれました その後 明治 22 年の 市制町村制 施行に伴う 明治の大合併 昭和 28 年の 町村合併促進法 制定に伴う 昭和の大合併 という2つの大きな合併が行われ 合併特例法 ( 平成 7 年改定 ) による 平成の大合併 前の市町村の姿ができあがりました 昭和の大合併から40 年余 社会経済情勢が大きく変化する中で 新たな諸課題への対応が求められ 市町村の行財政基盤を強化する必要が生じてきました このような中 合併についての調査 研究が進められ 平成 15 年 12 月には佐久市 臼田町 浅科村 望月町による法定合併協議会が設置され 平成 17 年 4 月 1 日 佐久市 臼田町 浅科村 望月町の4 市町村が合併し 10 万都市 新 佐久市 が誕生しました 旧 4 市町村の変遷 旧佐久市は 昭和 36 年 4 月 1 日 北佐久郡浅間町 東村 南佐久郡野沢町 中込町の 3 町 1 村の合併により長野県内で17 番目の市として誕生しました 江戸期には中山道と佐久甲州街道の結節地として交通の要所にありました 近年においては上信越自動車道や北陸新幹線 さらには中部横断自動車道といった高速交通網の整備が飛躍的に進み とりわけ 北陸新幹線佐久平駅周辺は大きな変貌を遂げ 長野県内有数の商業圏を形成しています 江戸時代から始まった佐久鯉や 多くの造り酒屋から生産される伝統的美酒は佐久の清流が育てる全国ブランドです 教育への情熱の象徴である旧中込学校は 日本最古の擬洋風学校の一つとして国の重要文化財に指定されています また 全国各地からの選手たちがその技を競う佐久バルーンフェスティバルや 日本五大稲荷といわれる鼻顔稲荷神社初午祭の賑わいは 佐久の風物詩として定着するなど高速交通網の整備とともに 人 モノ 情報の交流が盛んになっています 旧臼田町は 昭和 32 年 4 月 1 日 田口青沼村 臼田町が合併し 臼田町が誕生しました 幕末の激動のさなかに 西洋式の築城法を用いて造られた龍岡城五稜郭は我が国には 2つしかない星型稜堡の様式築城で 貴重な歴史遺産であり お堀 土居 お台所が遺されています 明治の時代には郡役所ができ その後警察署 裁判所の出張所などの重要な機関が集結し 行政 治安 経済 あらゆる方面において発展しました また 農村医学の発祥の地 ハレー彗星大接近を契機に建設された大パラボラアンテナなど 地域の特性を生かしたまちづくりに取り組んできました 1
おみふまつり古くからの伝統行事である新海三社神社の御田植祭 御神符祭 また天下泰平 五穀豊 穣を祝う神事である湯原神社式三番は 250 年余の前から続く山村の郷土芸能で 脈々 と後世に受け継がれています 世界的に著名な彫塑家の出身地でもあり 先人が遺した歴 史 文化遺産は 貴重な文化財として現在に息づいています 旧浅科村は 昭和 30 年 1 月 15 日 中津村 五郎兵衛新田村 南御牧村が合併して誕 生しました 川越しの宿である塩名田宿 第 14 代将軍徳川家茂に降嫁した皇女和宮が宿 泊した八幡宿は今でも街道筋の随所にその面影を残しています 全国の疎水百選に選ばれた五郎兵衛用水から引かれた豊富な水と 千曲川の豊かな流れ がもたらした肥沃な耕地から収穫される五郎兵衛米は天下の美味として全国でも高い評価 を受けています 旧望月町は 昭和 34 年 8 月 本牧町 布施 春日 協和村の 1 町 3 か村が合併して誕 生しました 望月の北東の御牧原台地は平安時代初期に朝廷直轄の 勅旨牧 ( 牧場 ) があ り 美しく力強く成長した馬は最高の良馬として 望月の駒 と称され 都に献上されま した 江戸から碓氷峠を越えた中山道は 小田井 岩村田 塩名田 八幡の各宿を経て あい望月宿に入ります 望月宿 そして 間の宿 と呼ばれた茂田井は今でもかつての風情を 色濃くとどめています また 鎌倉時代から建立された石造物は 3 千体を超え 旅の安全 村の平穏を見守ってきました 江戸時代以前から続く伝統的な火祭りで 信州の奇祭として広く知れ渡る榊祭りや望月 駒の里草競馬大会には多くの観光客が訪れます 書の天才を生み 歌人に愛された文化と 芸術が息づく里として また湯の里として その伝統は 今も脈々と引き継がれています 2 位置と地勢 佐久市は 長野県の東部にあり 県下 4 つの平らの一つである佐久平の中央に位置して います 北に浅間山 南に八ヶ岳を望み 蓼科山 双子山 荒船山などに囲まれ 千曲川 が市の中央部を南北に貫流する 自然環境に恵まれた高原都市です (1) 位置佐久市中込 3056 番地 ( 佐久市役所 ) 東経 138 度 28 分 37 秒北緯 36 度 14 分 56 秒海抜 692メートル (2) 面積 423.99 平方キロメートル ( 東西 32.1キロメートル 南北 23.1キロメートル ) 2
3 気候 佐久市は 高燥冷涼で寒暖の差が大きい内陸性気候であり 年間の平均気温は約 11 と 涼しく 降水量は年間 1,000mm 前後と全国的にも少ない地域です 日照時間は 年間 2,000 時間前後と 年間を通して晴天率が高い地域です 4 人口と世帯数の推移 近年における国勢調査では 平成 7 年は97,813 人 平成 12 年が100,016 人 平成 17 年では 100,462 人 平成 22 年では100,552 人と人口は増加傾向でしたが 全国的な人口減少により佐久市も例外ではなく 平成 27 年は99,368 人となっています 一人の女性が 生涯に生む子どもの数の平均を示す合計特殊出生率の長期低落傾向が続いており 全国の出生率は平成 17 年に1.26と過去最低を更新し 人口の減少が大きな社会問題となっています しかし 本市の平成 17 年の出生率は 1.42 平成 22 年では1.57 平成 27 年では1.52と いずれも全国値を上回っている状況です 年度男女計世帯数 平成 17 年度 49,746 51,647 101,393 37,122 平成 18 年度 49,671 51,583 101,254 37,535 平成 19 年度 49,626 51,512 101,138 37,829 平成 20 年度 49,502 51,479 100,981 37,816 平成 21 年度 49,469 51,475 100,944 38,299 平成 22 年度 49,469 51,482 100,951 38,555 平成 23 年度 49,339 51,426 100,765 38,854 平成 24 年度 49,198 51,298 100,496 39,132 平成 25 年度 49,014 51,186 100,200 39,495 平成 26 年度 48,935 51,061 99,996 39,824 平成 27 年度 48,856 50,794 99,650 40,082 平成 28 年度 48,856 50,760 99,616 40,649 平成 29 年度 48,729 50,700 99,429 40,985 資料男女別人口及び世帯数 : 住民基本台帳 + 外国人登録 (4 月 1 日現在 ) 3
5 佐久市合併系図 4