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ISSN 1882-6571 ICCS 現 代 中 国 学 ジャーナルⅢ ICCS Journal of Modern Chinese Studies 2016 年 3 月 ICCS 現 代 中 国 学 ジャーナル 編 集 委 員 会 ICCS-JMCS editorial board 愛 知 大 学 国 際 中 国 学 研 究 センター 453-8777 愛 知 県 名 古 屋 市 中 村 区 平 池 町 四 丁 目 60 番 6 International Center for Chinese Studies, Aichi University 4-60-6, Hiraike-cho, Nakamura-ku, NAGOYA, Aichi 453-8777 JAPAN

ICCS 現 代 中 国 学 ジャーナルⅢ ICCS Journal of Modern Chinese StudiesⅢ 第 2 巻 第 1 号 ( 調 査 報 告 ) 中 国 都 市 における 服 飾 の 認 識 に 関 するアンケート 調 査 分 析 - 天 津 を 事 例 として- 夏 目 晶 子 1 爨 底 下 村 民 生 育 习 俗 调 查 报 告 周 群 英 44 編 集 後 記 58 第 3 巻 第 1 号 講 演 録 中 国 知 识 分 子 论 从 1980 年 代 到 2000 年 代 许 纪 霖 59 ( 投 稿 論 文 ) 试 析 明 代 的 日 本 观 时 培 磊 73 权 力 的 边 界 中 国 黑 龙 江 省 的 承 包 土 地 纠 纷 隋 嘉 滨 86 大 跃 进 时 期 农 村 公 共 物 品 供 给 的 政 治 机 制 分 析 以 河 北 省 徐 水 县 瀑 河 水 库 的 修 建 为 例 李 汉 卿 107 试 析 通 过 中 国 东 中 部 合 作 促 进 中 部 崛 起 的 意 义 与 途 径 王 成 至 129 孔 子 学 院 的 改 善 途 径 戴 蓉 137 河 南 农 村 劳 动 力 转 移 大 墙 王 村 之 实 况 调 查 分 析 王 亚 红 143 編 集 後 記 153 第 4 巻 第 1 号 巻 頭 言 高 橋 五 郎 154 ( 投 稿 論 文 ) Is Chinese agricultural industrialization policy successful? Goro Takahashi 155 i

中 国 のエネルギー 需 給 の 現 状 が 示 唆 するエネルギー 問 題 大 澤 正 治 166 日 本 産 農 産 物 の 対 中 国 台 湾 輸 出 における 輸 出 主 体 の 制 度 的 対 応 佐 藤 敦 信 180 中 国 における 食 生 活 の 変 容 の 年 齢 層 所 得 階 層 地 域 別 差 異 佐 藤 敦 信 菅 沼 圭 輔 193 再 編 進 む 国 際 鉄 鋼 業 二 人 の 鉄 鋼 王 を 通 じて 納 富 義 宝 209 朝 鮮 半 島 に 対 する 中 国 ネット 民 族 主 義 の 台 頭 とその 変 容 イタマール リー 228 The Rise of China and Its Growing Role in International Organizations Zhihai XIE 238 中 国 の 対 外 宣 伝 工 作 と 中 国 中 央 テレビの 国 際 放 送 戦 略 平 野 孝 治 250 編 集 後 記 261 ii

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 調 査 報 告 中 国 都 市 における 服 飾 の 認 識 に 関 するアンケート 調 査 分 析 天 津 を 事 例 として 1 夏 目 晶 子 はじめに 2005 年 初 めから 今 日 まで, 筆 者 は 主 に20 世 紀 の 中 国 衣 生 活 の 変 遷 と 中 国 社 会 思 想 との 関 わりをテーマとして 研 究 をして いる.2006 年 2 月 から 翌 2007 年 1 月 にかけての 天 津 での 現 地 調 査 は,このテ ーマについての 研 究 の 一 環 として 重 要 な 役 割 を 持 っており, 博 士 論 文 の 一 つの 柱 とな るものである. 調 査 の 対 象 としてこの 地 域 を 選 択 したの には, 筆 者 が 南 開 大 学 で 一 年 間 の 留 学 生 活 を 送 ったという 外 的 要 因 もあるが,さらに 大 きな 理 由 としてこの 地 域 に 存 在 する 二 つ の 特 質 が 挙 げられる.それは, 天 津 が 東 部 沿 海 地 域 の 北 方 に 位 置 する 大 都 市 として 経 済 的 に 発 展 している 一 方 で, 首 都 北 京 に 隣 接 する 都 市 として 古 き 伝 統 文 化 風 習 を 未 だに 色 濃 く 残 しているという 点 である. 北 京 の 海 の 玄 関 と 言 われる 天 津 は, 新 旧 両 面 の 特 質 を 持 っているのである. それは 衣 生 活 文 化 の 面 においても 例 外 ではなく, 新 と 旧, 現 代 と 伝 統 の 要 素 が 色 濃 く 残 っている. 開 放 を 求 める 一 面 がある 一 方 で, 伝 統 を 守 る 一 面 も 存 在 する.この 両 面 性 は 天 津 の 民 間 風 俗 の 特 性 であり,とりわけ 筆 者 は,こうした 天 津 に おける 特 有 の 文 化 や 民 風 に 惹 かれて, 考 察 に 当 たっての 調 査 地 としたのである. 20 世 紀 の 中 国 社 会 は 激 しい 変 動 の 時 期 であった. 清 朝 末 期 の 混 乱 とその 滅 亡, 中 華 民 国 の 樹 立,そして 中 華 人 民 共 和 国 建 国 といった 社 会 構 造 の 大 きな 変 革 がこの 約 百 年 の 間 に 起 きた.その 社 会 構 造 の 変 動 は 人 々の 生 活 のあらゆる 面 に 影 響 を 及 ぼし, 変 化 を 起 こしたが,それは, 衣 生 活 におい てもさまざな 変 化 を 起 こしてきた.その 変 化 の 要 因 として, 社 会 思 想 から 受 けた 影 響 も 服 飾 専 門 家 らなどからしばしば 指 摘 され てきている 2. しかし,その 社 会 思 想 がどのように 衣 生 活 の 変 化 に 影 響 をもたらしたかという 経 緯, また, 社 会 思 想 と 衣 生 活 との 二 者 の 間 の 密 接 な 関 わりなどについては,これまで 深 く 掘 り 下 げられることはなかった.20 世 紀 の 中 国 社 会 の 変 化 は,もっぱら 政 治 や 経 済 などを 中 心 として 注 目 されてきており,こ の 百 年 間 の 衣 生 活 に 起 きた 変 化 について, とりわけ 社 会 思 想 と 衣 生 活 との 関 係 を 中 国 一 般 市 民 たちがどのように 理 解 認 識 して いるのかという 問 題 は 取 り 残 されたままに なっている. 近 年 においても, 中 国 人 の 衣 生 活 に 対 する 意 識 態 度 の 実 態 把 握 につい ては, 研 究 が 全 くなされていないと 言 って も 過 言 ではない.このことについて, 更 に 見 直 す 必 要 があると 思 う 所 以 である. 本 稿 では, 主 にアンケートの 現 地 調 査 の 研 究 方 法 を 採 用 して, 天 津 地 域 を 中 心 に, 特 に 南 開 区, 河 西 区 を 事 例 として,またそ の 周 辺 地 域 などでの 調 査 を 加 えて, 総 合 的 分 析 によって, 天 津 を 代 表 とする 一 般 的 な 中 国 人 の 衣 生 活 に 対 する 意 識 態 度 と,そ の 社 会 思 想 との 関 わりに 対 する 認 識 の 実 態 1

を 明 らかにしたい. Ⅰ 天 津 市 の 概 況 および 衣 生 活 形 態 の 特 色 1 天 津 市 の 概 況 天 津 市 は 中 国 首 都 北 京 に 最 も 近 隣 する 直 轄 市 で, 中 国 北 部 の 東 寄 り, 華 北 平 原 の 東 北 部 に 位 置 している. 東 南 は 渤 海 湾 に 臨 み, 西 北 は 北 京 市 と 隣 接 しており,その 他 は 河 北 省 と 接 している. 天 津 市 の 総 面 積 は 約 1 1,000 平 方 キロメートル,2005 年 の 数 字 データによると, 総 人 口 は938 万 人, 非 農 業 人 口 は560.2 万 人 で 総 人 口 の 約 60%を 占 めている. 農 業 人 口 は37 7.8 万 人 で 総 人 口 の 約 40%である. 主 な 民 族 は 漢 民 族 であり 天 津 市 総 人 口 の9 8%を 占 める.そのほか, 回 族, 満 州 族, モンゴル 族, 壮 族, 朝 鮮 族 などの 少 数 民 族 も 住 んでいる. 天 津 市 は15の 区, 県 を 管 轄 している. そのうち 市 に 所 属 する 区 は 和 平, 河 東, 河 西, 南 開, 河 北, 紅 橋, 塘 沽, 漢 沽, 大 港, 東 麗, 西 青, 津 南, 北 辰, 武 清, 宝 坻 である.また, 市 に 所 属 する 県 は3つで, 寧 河, 静 海, 薊 県 3 である. 天 津 は 隋 朝 の 時 代 に 大 運 河 が 開 通 するこ とに 伴 って 形 成 された. 唐 代 半 ば 以 後, 天 津 は 南 方 の 食 糧 や 絹 織 物 を 北 方 へ 運 送 する 水 陸 の 港 町 になった. 宋 朝, 金 朝 ではこの 地 を 直 沽 賽 と 呼 んでいた. 元 朝 に 入 って から 海 津 鎮 へと 改 称 し, 軍 事 重 鎮 と 水 路 の 食 糧 運 送 の 中 心 となった. 明 永 楽 2 年 (1 404 年 ), 城 壁 を 築 き, 衛 を 設 けたため, 天 津 衛 と 呼 ぶようになった.1928 年, 天 津 は 特 別 の 市 に 変 わり, 以 来 天 津 市 と なった 4. 天 津 は 中 国 の 北 方 地 方 の 交 通 の 要 であり, 華 北 と 東 北 を 結 ぶ 交 通 の 要 衝 である.18 60 年 イギリス,フランス 連 合 軍 に 侵 略 さ れ,1900 年 に 半 植 民 地 となり,やむな く 九 カ 国 の 租 界 を 開 設 した. 当 時, 中 国 で 設 立 した 外 国 租 界 のもっとも 多 い 都 市 とさ れた.それまでの 天 津 の 経 済 機 能 は, 主 に 食 糧 などを 大 運 河 で 北 方 に 運 送 する 漕 運 と, 製 塩 工 業 を 中 心 として 五 百 年 あまり 続 いて ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 きた.しかし, 第 二 次 アヘン 戦 争 で 敗 れて から,やむなく 貿 易 都 市 として 開 放 した. 各 帝 国 主 義 列 強 が 天 津 で 工 業 を 開 設 し,イ ギリス,フランス,アメリカ,ドイツ, 日 本,イタリア,オーストラリアなどの 国 々 は 自 分 の 租 界 地 内 でいくつかの 紡 績, 機 械, 化 工 などの 企 業,また, 銀 行 を 建 てた. 西 洋 人 によって 教 会, 病 院 や 学 校 も 設 けられ, 文 化, 芸 術 もそれに 伴 って 天 津 に 入 ってき た.これらの 外 国 資 本 主 義 の 侵 入 によって, 天 津 社 会 に 経 済, 政 治, 文 化, 軍 事 面 で 大 きな 変 化 がもたらされた. 当 時, 国 内 の 官 僚 や 外 国 人 の 仲 介 人 たちも, 次 第 に 近 代 工 業 に 投 資 するようになり, 民 族 資 本 とされ る 中 小 企 業 も 相 次 いで 建 てられた. 第 一 次 世 界 大 戦 の 直 前 までに, 全 市 で 工 場 は70 あまりに 至 った. 西 洋 の 科 学 技 術 や 文 化 を 習 うことにおいても, 全 国 の 先 頭 に 立 って いた. 洋 務 運 動 の 時 期, 洋 務 派 は 学 校 や 企 業 などを 含 めて, 都 市 建 設 や 管 理 において 西 洋 を 模 倣 していた. 北 洋 軍 閥 の 発 祥 地 で ある 天 津 で, 新 軍 の 新 政 を 運 営 するにあた って,その 新 軍 の 軍 事 制 度 も 全 面 的 に 西 洋 軍 事 を 模 倣 した.そして, 教 育, 新 聞 など の 事 業 面 においても 創 立, 創 刊 は 比 較 的 早 かった. 北 洋 大 学 堂 (1895 年 ), 南 開 大 学 (1907 年 ), 天 津 図 書 館 (1908 年 ), 大 公 報 (1902 年 )など,その 勢 いは 上 海 など のようにずば 抜 けて 潮 流 に 乗 ってはいない にしても, 時 代 の 足 取 りにぴったりついて いた. 清 朝 末 期 の 天 津 は, 全 国 に 注 目 され る 都 市 の 一 つであった.また, 天 津 は 一 貫 して 名 士 が 集 まる 地 域 でもあった. 清 朝 最 後 の 皇 帝 溥 儀, 民 国 の 大 統 領 袁 世 凱, 黎 元 洪, 馮 国 章, 徐 世 昌 および 梁 啓 超, 吉 鴻 昌 など 名 士 の 旧 居 があり, 孫 文 や 李 大 釗, 劉 少 奇, 周 恩 来 など 革 命 先 駆 が 天 津 で 活 動 し た,その 記 念 館 や 住 まいもまだ 残 っている. 民 国 時 代 になってから, 五 四 運 動 によ って, 中 国 社 会 全 体 は 新 と 旧, 興 と 滅 の 転 換 期 が 訪 れた. 天 津 の 経 済, 政 治, 教 育, 文 化, 思 想 などの 面 はこれま でにない 発 展 の 段 階 を 迎 えた. 特 に193 7 年 の 日 中 戦 争 直 前 までに, 天 津 の 民 族 工 業 は 黄 金 の 時 期 を 迎 え, 紡 績, 軽 工 業, 食 2

品, 機 械, 加 工 などの 工 業 企 業 は 数 千 軒 ま でに 及 んだ. 天 津 の 経 済, 商 業, 貿 易 は 迅 速 に 発 展 の 方 向 へ 進 み, 中 国 北 方 の 経 済 中 心 と, 中 国 と 西 欧 との 文 化 交 流 の 中 心 にな った 5. 天 津 港 は 中 国 北 方 の 最 大 の 総 合 貿 易 港, 北 方 地 方 で 最 も 重 要 な 輸 出 港 になった. この 時 期 は 商 業 が 繁 栄 し, 租 界 地 が 盛 んに なった 時 期 で, 人 々にとって 天 津 は 憧 れの 地 であった. 1949 年 に 新 中 国 ( 中 華 人 民 共 和 国 ) が 建 国 されてからの 二 十 数 年 間, 全 国 は 革 命 と 闘 争 に 明 け 暮 れた. 新 中 国 の 社 会 主 義 と 旧 中 国 の 資 本 主 義 が 戦 い, 新 中 国 のプロ レタリアと 旧 中 国 のブルジョアが 戦 い, 特 に 文 化 大 革 命 の 間 には,さらにプロレタリ ア 的 な 幸 福 感 が 熱 く 提 唱 され, 個 人 主 義 的 な 要 素 は 激 しく 排 除 された.その 中 で, 天 津 社 会 も 物 質 的 な 生 活 においても 精 神 的 な 生 活 においても, 中 国 全 体 につれて 極 端 な 方 向 へ 向 かって 発 展 していった.そして, 20 世 紀 70 年 代 後 半 に 入 って, 新 中 国 は 改 革 開 放 をめざし,それにともなって 天 津 は 現 代 の 経 済 構 造 や 文 化 構 造 に 向 かうこ とになった. 改 革 開 放 政 策 によって 中 国 は, 計 画 経 済 から 社 会 主 義 型 の 市 場 経 済 へ と 移 り 変 わった.80 年 代, 天 津 では 海 河 下 流 区 と 沿 海 地 区 を 重 点 に 開 発 が 進 められ, 主 に 四 つ( 軍 粮 城, 楊 柳 青, 南 河, 咸 水 沽 ) の 衛 星 工 業 都 市 とその 他 の 工 業 地 帯 を 発 展 させた.さらに 続 いて90 年 代 初 め, 天 津 経 済 技 術 開 発 区 と 天 津 港 保 税 区 が 建 てられ た. 今, 天 津 は 中 国 北 部 で 最 大 の 沿 海 の 開 放 都 市 であるだけでなく, 中 国 経 済, 政 治 に 影 響 を 与 える 重 要 な 都 市 として 位 置 づけ られている.その 特 有 の 地 理 的 条 件 と 歴 史 的 条 件 が 国 家 から 重 視 され, 支 持 されて, 天 津 市 は2006 年 に 国 家 環 保 総 局 により 国 家 環 境 保 護 模 範 都 市 として 認 定 された. 2 天 津 の 衣 生 活 形 態 の 特 色 天 津 は 古 くから 服 飾 商 業 地 として 有 名 な 地 域 であった.もっとも 有 名 なのは 明 朝 末 期 から 建 てられた 天 津 市 の 最 初 の 商 業 地 大 胡 同 通 りで, 別 名 估 衣 街 と 呼 ばれて いた( 現 在 もそう 呼 ばれている).その 名 の ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 通 り, 主 に 衣 服 類 を 扱 っているところであ る. 特 に 清 末 ごろ, 主 に 絹 織 物 や 綿 布, 芝 居 用 衣 裳, 衣 服 などの 衣 類 店 がこの 通 りに 所 狭 しと 並 んでいた. 衣 服 と 絹 織 物 の 品 数 も 豊 富 で, 特 に 裕 福 な 家 庭 はそこまで 足 を 運 び, 布 地 や 装 飾 品 を 購 入 した.また 質 屋 は, 衣 服 の 売 買 などの 目 的 で 利 用 した.こ のため, 估 衣 街 は 市 民 の 衣 生 活 の 中 心 地 と して 位 置 づけられていた. 同 時 に, 当 時 の 北 部 地 方 の 衣 類 などの 紡 績 品 市 場 の 中 心 地 としても 有 名 であった.その 地 位 は 現 在 に おいても, 北 部 地 方 でその 存 在 を 無 視 する ことができない. 清 朝 の 時 代 から 受 け 継 い だ 各 衣 服 店 も, 依 然 として 市 民 に 愛 用 され ている.また, 植 民 地 時 代 に 天 津 の 繁 華 街 の 一 角 に 置 かれていた,およそ80 年 の 歴 史 を 持 つ 天 津 勧 業 場 商 厦 もある. 当 時,こ の 商 厦 の 周 辺 にはたくさんの 衣 服 の 店 があ り, 今 現 在 も 市 民 が 愛 用 しているのである. このほか, 濱 江 道 など 一 般 に 若 者 向 けの 繁 華 街 には 有 名 ブランドの 衣 服 専 門 店, 若 者 向 けのファッションショップ, 輸 入 ファッ ション 小 売 店 などがずらりと 並 んでおり, 衣 服 の 種 類 も 色 とりどりである.20 世 紀 のファッションといえば,これまではずっ と 上 海 が 中 国 服 飾 の 中 心 地 で, 特 に 女 性 の 衣 服 が 最 新 ファッションとして 話 題 になっ てきた. 衣 生 活 面 において 天 津 は,この 上 海 に 対 して, 北 方 の 服 飾 の 中 心 都 市 として, 中 国 の 中 で 比 較 的 早 期 に 新 思 潮 の 衣 服 を 受 け 入 れた 地 域 だといえる.では, 二 十 世 紀 天 津 市 民 の 衣 生 活 はどうだったのか, 手 元 の 服 飾 資 料 を 中 心 に 検 討 し 情 報 を 提 供 した い. 植 民 地 になる 前 まで, 天 津 の 人 々は 衣 生 活 において, 主 に 清 王 朝 の 服 飾 階 級 制 度 に 基 づいた 衣 服 を 着 用 していた. 衣 服 の 様 式, 色 彩, 文 様, 材 質 などは 細 かく 身 分 によっ て 区 分 され, 規 制 されていた.その 特 徴 は, 一 般 的 な 衣 服 の 様 式 としては, 男 性 は 満 州 族 の 長 袍 馬 褂 をまとい, 女 性 は 満 州 族 の 旗 袍 をまとった. 漢 民 族 の 女 性 は 自 らの 民 族 服 を 着 用 することが 許 されていたために, 上 衣 と 下 裙 であった. 下 層 階 級 の 男 女 は, 主 に 粗 布 の 中 国 式 の 上 着,ズボンというス 3

タイルであった. 全 体 として 中 国 式 の 伝 統 衣 服 の 様 式 であった. 清 朝 末 期, 列 強 の 侵 入 にともなって 西 洋 文 化, 科 学 技 術, 教 育, 西 洋 の 思 想 観 念 な どが 押 し 寄 せ, 中 国 人 の 衣 生 活 に 著 しい 変 化 が 起 きた. 当 時, 中 国 の 伝 統 衣 服 のほか に, 西 洋 的 要 素 の 衣 服 や 装 身 具 が 社 会 に 現 われ 始 めた 6. 清 末, 西 洋 人 や 西 洋 文 化 に 伴 って 洋 服 も 天 津 に 入 ったが, 当 初, 中 国 人 の 間 では 洋 服 を 着 る 人 は 少 なかった. 洋 服 を 着 るのは, 主 に 西 洋 人 を 相 手 にする 人 や, 外 国 商 人 相 手 の 中 国 人 仲 介 人, 留 学 から 帰 国 した 中 国 人 であった.しかし, 次 第 に 洋 服 を 真 似 て 着 る 中 国 人 は 多 くなってゆき, 辛 亥 革 命 の 前 までには, 洋 服 を 着 ることは 既 に 風 習 の 一 つになっていた.また, 中 国 で 初 めて 近 代 西 洋 要 素 の 軍 服 を 取 り 入 れた のもこの 天 津 地 域 である.1895 年, 新 軍 が 天 津 で 作 られてから, 袁 世 凱 らの 担 当 責 任 者 は 西 洋 先 進 の 武 器 装 備 をとりいれ, また 軍 人 の 素 質 を 重 視 するようになったと 同 時 に, 軍 服 の 改 革 にも 力 を 入 れた.19 05 年 に 新 軍 の 軍 服 が 統 一 されるまで, 天 津 地 域 の 新 軍 は 主 に 日 本 軍 服 の 様 式 を 採 用 していた.この 影 響 を 受 けて,さらに 沿 海 地 方 や 海 外 華 人 の 間 には, 清 王 朝 が 滅 亡 す るまでの 髪 を 切 る, 衣 服 を 改 める とい う 運 動 が 高 まった.このような 状 況 の 中 で, 天 津 市 民 の 衣 生 活 は 大 きく 変 化 した. 伝 統 様 式 のほかに, 西 洋 文 化 への 憧 れの 影 響 で, 西 洋 様 式 または 中 洋 折 衷 様 式 の 衣 服 も 現 れ 始 めた. 清 朝 末 期, 天 津 の 一 般 市 民 や 農 民 は, 衣 生 活 において, 主 に 実 用 性 を 求 めて 材 質 の 低 い 綿 など 粗 布 の 伝 統 衣 服 ( 男 性 は 長 袍 馬 褂 と, 各 種 の 上 着 )とズボンとの 合 わせの 仕 事 着 などを 着 ていた. 女 性 は 民 族 により 異 なり, 漢 民 族 の 女 性 は 主 に 上 着 とスカー トを 着 用 し, 満 州 族 の 女 性 は 主 に 旗 袍 を 着 用 していた. 衣 服 の 文 様 も 一 般 に, 自 ら 刺 繍 した 邪 気 駆 除, 福 禄 喜 寿 などの 吉 祥 伝 統 文 様 が 多 く 使 われていた.さらに, 知 識 人 や 工 商 で 仕 事 している 中 層 階 級 の 衣 生 活 の 場 合 は, 彼 らの 活 動 場 は 主 に 中 心 部 や 租 界 地 に 集 中 しているため, 衣 生 活 においても ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 変 化 を 余 儀 なくされた. 男 性 は 主 に 背 広 や ネクタイ, 皮 靴 のほか,こだわりのある 人 はさらに 礼 帽 や 懐 中 時 計, 文 明 杖 を 身 につ けていた. 女 性 の 一 部 も, 洋 服 を 着 用 した. その 特 徴 を 挙 げると, 上 着 は 体 にフィット するデザインで, 下 のスカートはややゆっ たりしていて, 全 体 として 女 性 の 体 の 曲 線 を 強 調 していた. 特 に, 若 い 女 性 の 衣 服 の デザインは, 四 肢 が 露 出 し 始 めた. 洋 服 を 着 用 する 女 性 の 職 種 としては, 主 に 外 国 の 工 商 業 や 教 会 関 係 で 仕 事 する 人 やその 家 族, 或 いは 文 化 教 育 を 受 けた 人 やその 家 族 であ った. 当 時, 洋 服 の 生 産 はまだ 充 分 とはいえな い 状 況 であったので,その 値 段 は 極 めて 高 かった.そのため,もう 一 種 類 の 衣 服 が 考 案 された.すなわち 伝 統 様 式 と 西 洋 様 式 が 融 合 した 中 洋 折 衷 様 式 の 服 である. 具 体 的 に 言 うと, 男 性 は 長 袍 馬 褂 に 西 洋 の 皮 靴, 頭 に 白 い 礼 帽. 女 性 は 改 良 された 高 い 襟 の 旗 袍 に, 西 洋 要 素 のネックレス, 洋 帽 をか ぶる 格 好 であり,こうした 格 好 が 中 層 社 会 でもっとも 流 行 した. 国 力 の 衰 弱 とともに, 清 王 朝 の 政 治 制 度 の 重 要 な 構 成 部 分 としての 服 飾 階 級 制 度 も 衰 退 してゆき, 厳 格 な 服 飾 階 級 区 分 による 統 治 が 揺 らいだ.その 頃 になると, 一 般 人 でもお 金 さえあれば, 各 階 級 クラスを 示 す 官 服 を 手 に 入 れることができた. 天 津 の 一 部 の 裕 福 層 の 間 では, 官 服 の 専 用 文 様 や 布 地 などを 使 用 したり,さらには 官 服 を 着 用 したりする 人 もいた. 民 国 期 に 入 ってから, 衣 服 の 西 洋 化 は 加 速 し 始 めた. 民 国 政 権 は 西 洋 政 体 モデルを 模 倣 して 建 てられたので, 服 飾 の 各 面 にお いても 西 洋 を 真 似 ることは 当 然 のことであ った. 衣 服 の 階 級 制 度 がほぼ 廃 止 され,1 912 年 10 月 に 中 華 民 国 政 府 は 男 女 礼 服 を 発 布 した. 男 性 は 二 種 類 の 大 礼 服 と 常 礼 服. 大 礼 服 は 洋 式 デザイン, 常 礼 服 は 中 式 と 洋 式 の 二 種 類.この 種 の 礼 服 は 政 界 で 流 行 した.この 時 期 の 衣 生 活 は, 全 体 として まさに 西 洋 化 へ 進 む 過 程 にあった. 天 津 の 衣 生 活 については, 男 性 は, 一 般 に 長 袍 馬 褂, 洋 服, 中 山 服,さらにさまざまにデザ 4

インした 中 洋 折 衷 様 式 の 服. 二, 三 十 年 代 の 頃 には, 洋 服 や 中 山 服 は,もはや 知 識 人 や 上 層 階 級 の 専 属 服 ではなくなり,その 他 の 階 級 の 人 も 着 用 できるようになっていた. 当 時, 洋 服 と 中 山 服 は 一 種 の 流 行 ファッシ ョンと 見 做 されていた. 経 済 的 に 余 裕 のあ る 人 は 必 ず 洋 服 を 備 えていた.また, 礼 帽 や 皮 靴, 眼 鏡, 手 袋 などの 西 洋 装 身 具 も 上 層 階 級 の 衣 生 活 の 中 に 取 り 込 まれていた. 女 性 の 衣 生 活 は, 建 国 後 の 西 洋 化 への 傾 向 がさらに 進 む 中 で, 胸 部, 腰 部, 臀 部 の 裁 断 が 伝 統 的 な 平 面 裁 断 法 から 立 体 裁 断 法 へと 変 わってゆき, 女 性 らしい 曲 線 美 を 求 め 始 めた. 服 の 丈 は 長 めのものから 短 めの ものへ,ウエストはゆったりしたものから ほっそりしたものへ, 袖 口 は 広 めのものか ら 狭 めのものへと, 嗜 好 が 変 化 した. 伝 統 上 着 と 伝 統 ズボンをあわせた 格 好 は, 主 に 下 層 階 級 の 女 性 の 普 段 着 であった. 中 間 層 や 上 層 階 級 の 女 性 は 主 に 洋 服,あるいは 中 洋 折 衷 の 服 を 着 用 した. 中 にわずか 一 部 の 帰 国 留 学 生 や, 流 行 に 敏 感 な 若 い 社 交 界 の 女 性, 知 識 人 の 間 で, 女 性 解 放 思 潮 に 煽 ら れて, 男 性 風 の 衣 服 を 着 用 する 人 もいた. 当 時, 社 会 でもっとも 流 行 した 女 性 ファッ ションと 言 えば, 伝 統 服 と 洋 服 の 結 合 体 で ある チャイナドレスであった.その 風 格 と 特 徴 を 具 体 的 に 挙 げれば, 服 の 丈 の 長 さ, 襟 の 高 さ,スリットの 大 小, 袖 の 付 け 具 合, 長 さなど,すべての 部 分 が 西 洋 の 最 新 流 行 ファッションの 変 化 によって 定 めら れていた. 伝 統 的 な 旗 袍 の 形 は,そこには ほとんど 残 っていない. 文 様 については, 本 来 女 性 の 衣 服 に 散 りばめられていた 多 種 多 様 の 装 飾 文 様 もこの 頃 から 簡 略 化 され, 時 間 が 経 つにつれて 装 飾 文 様 は 女 性 市 民 の 衣 生 活 の 中 からどんどん 消 えていった. また, 天 津 は 新 式 教 育 が 発 達 していたた め, 学 生 服 もほかの 地 域 と 比 べて 富 んでい た.その 形 は, 主 に 西 洋 様 式 の 服 だった. 小 中 学 生 は 一 般 に 中 山 服, 大 学 生 は 学 校 に よって 違 うが, 長 袍, 洋 服, 中 山 服 などが 一 般 であった. 女 学 生 は 一 般 に 無 地 のスカ ートと 上 着. 上 着 はやや 細 く 小 さめで, 袖 は 比 較 的 短 く, 裾 はアーチ 形 であった.ま ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 た,スカートの 長 さは 膝 下 までであった. また, 当 時 天 津 では, 新 聞 や 雑 誌, 画 報 などに 関 連 する 業 種 が 発 達 していたため, 市 民 は 最 新 ファッションの 情 報 を 素 早 く 入 手 でき,それが 衣 生 活 を 豊 かなものにした. 1929 年, 天 津 利 順 徳 飯 店 で 万 国 服 装 大 会 が 開 催 され,その 賑 わい 振 りは 国 内 外 の 来 賓 を 驚 かせたほどであった.この 時 期, 中 国 全 体 の 流 行 ファッションのレベルから 見 て, 確 かに 北 方 は 東 南 沿 海 地 区 より 低 い 状 態 にあった.しかし, 一 般 的 に 見 て 天 津 市 は, 大 都 市 であり 貿 易 港 を 中 心 としてい るという 性 質 から,その 衣 生 活 は 中 国 全 体 から 見 ると, 北 方 最 新 流 行 ファッションの 都 市 だと 言 えるのである. 新 中 国 の 時 代 においては,50 年 代 末 期 まで 経 済 の 発 展 は 緩 慢 であり, 物 質 的 条 件 はまだ 不 十 分 な 状 況 であった. 加 えて 堅 苦 朴 素 ( 質 素 で 地 味 な 生 活 に 耐 えること) を 美 とするプロレタリア 的 な 革 命 精 神 が 社 会 で 流 行 していたため,その 影 響 は 真 っ 先 にはっきりと 中 国 全 体 の 衣 生 活 に 映 し 出 さ れていた. 天 津 では, 新 中 国 が 建 国 した 直 後 に, 軍 服 の 影 響 を 受 けた. 各 業 種 の 男 性 は, 特 に 若 い 青 年 の 中 で, 主 に 藍 色,グレ ー, 黒 色 の 三 色 の 軍 服 と 中 山 服 が 愛 用 され た.そのほか, 中 山 服 とレーニン 服 から 生 み 出 された 人 民 服 や, 中 山 服 を 原 型 とし た 青 年 服, 学 生 服, 軍 便 服,また, 上 半 身 は 伝 統 の 綿 入 れの 上 着 ( 伝 統 綿 枖 ) に 下 半 身 は 洋 ズボンの 組 み 合 わせという 中 洋 折 衷 の 衣 服 が 現 われ, 男 性 が 愛 用 した. 伝 統 服 である 長 袍 馬 褂 や 西 洋 の 衣 服, 特 に 背 広 を 着 る 人 は 少 なくなっていた. 当 時 の 衣 服 の 中 にあって, 特 に 中 山 服 は 広 い 範 囲 にわたって 男 性 に 好 まれ, 襟 など が 部 分 的 に 改 良 されながら,70 年 代 末 期 まで 人 々が 好 んで 着 用 した.その 着 用 範 囲 はお 年 寄 りから 青 年,さらには 子 供 までに 及 んだ. 女 性 の 衣 服 においても, 男 性 と 同 じ 革 命 精 神 の 影 響 のために, 一 般 女 性 はレ ーニン 服,グレーの 軍 服, 学 生 服,それか ら 中 山 服 を 原 型 とする 女 性 両 用 シャツ, ソ 連 式 の 花 模 様 の 布 地 で 作 ったワンピース, 伝 統 上 着 と 洋 ズボン,スカートなどを 着 用 5

していた. 長 い 袍 のチャイナドレスは50 年 代 中 期 に 入 ると, 天 津 の 衣 生 活 の 中 からほとんど 消 えた.この 時 期 の 市 民 の 衣 生 活 は 全 体 的 に 質 素 で 地 味 であった.そして,1956 年, 国 家 から 人 民 の 衣 服 を 美 化 する とい う 提 唱 があったために, 一 時 期, 模 様 がほ どこされたり 色 彩 が 加 えられたり,また, 襟 などにデザインが 増 え, 特 に 女 性 と 子 供 の 衣 服 の 風 格 は 少 し 鮮 やかなものに 変 わっ た. 例 えば, 花 模 様 スカート, 刺 繍 入 りシ ャツ, 花 模 様 外 套 上 着 などが 女 性 の 中 で 流 行 した. 男 性 の 衣 生 活 に 再 び 背 広, 洋 オー バーなどが 現 れ, 一 時 的 に 流 行 した.しか し50 年 代 末 期 に 入 ると, 全 国 で 大 躍 進 運 動 がはじまり, 衣 生 活 はさらに 実 用, 素 朴, 丈 夫 の 方 向 に 進 んだ.その 影 響 で, 労 働 者, 学 生, 政 府 職 員, 農 民 を 問 わず, 人 々の 衣 服 全 体 が 大 躍 進 の 色,つまり, 藍 色,グレー, 黒 色 に 染 められた. 女 性 は 多 くこの 三 色 の 両 用 シャツ を 着 た.その シャツの 中 には, 一 般 に 小 花 模 様 の 両 用 シ ャツ を 着 るが,その 襟 の 部 分 を 外 のシャツ の 上 に 重 ねることが 当 時 のおしゃれな 着 方 だった. 男 性 は 主 に 中 山 服, 軍 服 を 好 んだ. 1960 年 代 初 期 から70 年 代 末 期 まで, 男 女 の 衣 服 は 依 然 として 素 朴 を 時 代 の 流 行 とした. 男 性 の 衣 服 は 主 に 中 山 服, 軍 便 服, 開 襟 制 服, 縦 襟 制 服, 青 年 服, 労 働 服, 両 用 シャツ,ジャケット 上 着,ハーフ コ ート,ダスター コート, 軍 式 綿 入 りコー ト, 伝 統 綿 入 り 上 着 などであった. 一 方, 女 性 の 衣 服 で 主 に 流 行 したのは, 縦 襟 ひと え 上 着, 女 性 用 の 軍 便 服 コート, 開 襟 シャ ツ,ちりめんスカート,ハーフとロングの コートなどであった. 当 時, 文 様 に 関 して は 子 供 服 に 比 較 的 多 かったが, 大 人 の 影 響 を 受 けていたせいで,やはり 素 朴 なものが 多 かった. 例 えば, 子 供 の 制 服, 紅 衛 服, 労 働 シャツなどである. 衣 服 の 形 や 布 地 は 絶 えず 少 しばかり 変 化 していたとはいえ, 始 終 実 用, 素 朴, すっきり という 原 則 に 基 づいて 作 られていた. 文 化 大 革 命 の 十 年 間 は, 破 四 旧 ( 旧 思 想, 旧 文 化, 旧 風 習, 旧 習 慣 )と 左 翼 路 線 が 妨 害 した ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 ため, 市 民 の 衣 生 活 はさらに 単 調 な 色 に 染 められた.この 十 年 間 の 衣 生 活 は, 男 女 を 問 わず 主 に 老 三 色 ( 藍, 黒,グレー), 老 三 装 ( 中 山 服, 青 年 服, 軍 便 服 )を 中 心 としたものであり, 背 広 やチャイナドレ スなどの 類 の 衣 服 はほぼ 人 々の 生 活 から 消 えていた. 小 学 生 の 衣 服 にも 緑 色 の 軍 装 を デザインしたものがあった. 当 時, 紅 衛 兵 のほかに, 教 師, 幹 部, 労 働 者, 農 民, 知 識 人 の 中 で, 相 当 の 人 が 萌 黄 色 の 軍 服 を 好 んで 着 用 した.そして, 布 地 の 模 様 には 歯 車, 鎌,トラック, 水 圧 機,ナットなどの 政 治 的 な 意 図 を 表 す 文 様 を 使 用 するものが 少 なくなかった. 装 飾 品 としては, 萌 黄 色 のベルト, 帽 子, 布 肩 掛 けカバン, 毛 沢 東 の 肖 像 バッジなどに 人 気 があり,その 手 に は 赤 色 の 毛 語 録 が 握 りしめられていたので ある. 70 年 代 末 (1979 年 )からの 改 革 開 放 路 線 による 経 済 の 発 展 は, 天 津 の 衣 生 活 に 目 まぐるしい 発 展 をもたらした. 紡 績 業 の 発 展 によって, 布 地 の 品 種 については 服 装 市 場 に 絶 えず 新 しいものが 提 供 され, 特 に80 年 以 降, 国 内 服 飾 市 場 は 逸 品 ぞろい になり, 中 国 人 の 衣 生 活 は 改 善 された.ま た,この 頃, 解 放 思 想 路 線 にそって 政 府 指 導 者 から 人 民 の 服 装 を 美 化 するように との 提 唱 がなされ,その 上, 指 導 者 自 らが お 手 本 として 背 広 を 着 用 したことで, 人 々 が 沸 き 返 った. 80 年 代 中 期, 中 国 は 情 報 時 代 に 向 かい, テレビから 流 れる 世 界 のファッションショ ーや 流 行 ファッション 雑 誌 などから 大 量 の 国 外 のファッション 情 報 を 得 られるように なった.さらに, 各 種 類 の 国 内, 国 外 ブラ ンドの 衣 服 が 消 費 市 場 に 流 れ 出 し,その 影 響 を 受 けて, 天 津 では, 特 に 二 十 代, 三 十 代 の 若 者 の 間 で, 国 内 外 有 名 ブランドの 服 を 着 る 人 も 現 れた. 市 民 は, 主 に 個 人 の 経 済 条 件 がゆるす 範 囲 内 で, 自 分 たちが 好 む デザインの 衣 服 を 着 用 するようになった. 市 民 は 老 三 装 を 脱 ぎ 捨 て, 代 わって, まず 若 者 の 間 ではラッパズボンや 背 広,ジ ーンズ,スポーツウェアファッション,ス キーウェア 様 式 の 上 着,ジャケット,ニッ 6

トウェア,Tシャツ,そして,ウールファ ッション,ウインドブレーカーファッショ ン, 皮 革 服 などが 流 行 した.その 広 がりの 特 徴 としては, 初 めは 若 者 男 女 の 間 であっ たが, 次 第 に 年 配 層 に 広 がるという 感 じで あった. 衣 服 の 色 はとりどりで, 以 前 のよ うな 老 三 色 ではなくなった.また, 衣 服 の 布 地 も 多 種 多 様, 帽 子 やベルト, 手 袋 などの 装 飾 品 の 種 類 も 増 えて, 人 々はファ ッションに 合 わせて 装 飾 品 を 選 択 した. 即 ち,80 年 代 中 期 以 降 の 市 民 の 衣 生 活 は, 衣 服 のデザイン, 色, 模 様, 布 地, 着 方, 着 用 場 所 や 時 間 など,あらゆる 面 において, 衣 生 活 全 体 として, 世 界 ファッションの 流 れを 基 準 として, 全 国 的 に 同 じ 方 向 で 動 い ていった. そのほか,90 年 代 後 半 から, 伝 統 文 化 を 見 直 す 社 会 風 潮 の 波 に 乗 って,これまで 忘 れかけていたチャイナドレスや 馬 褂 など の 伝 統 衣 服 が 再 び 現 れ,さらに 伝 統 服 から 改 良 された 新 たな 中 国 服 ( 中 式 服 の 唐 装 な ど)も 天 津 市 民 の 衣 生 活 に 見 ることができ た.この 種 の 服 は 一 時 的 に 市 民 の 普 段 着 と して 流 行 したが, 次 第 に 主 にお 正 月 などの 伝 統 行 事 や 結 婚 式 などの 儀 礼 の 衣 服 として 定 着 していった. 80 年 代 以 降 の 天 津 市 民 の 衣 生 活 を 一 言 でいうと,それは 全 体 として 色 彩 に 富 んだ 多 種 多 様 な 伝 統 衣 服, 洋 服, 中 洋 折 衷 の 衣 服, 国 内 外 ブランドの 衣 服 が 溢 れている 衣 服 社 会 であると 言 える.まさに 近 代 と 伝 統 の 息 吹 が 漂 っているのである. 中 国 人 の 個 人 主 義 化 が 急 速 に 進 む 中 で, 個 性 を 強 調 するさまざまな 衣 服 を 天 津 の 衣 生 活 から 覗 くことができる. 一 人 一 人 の 経 済 条 件 の 下 で, 人 々は 自 由 に,もっぱら 自 分 の 好 みを 基 準 として 新 しいファッション, 新 しいデザインの 服 を 選 ぶ,という 衣 生 活 へ と 成 長 した.まさに 個 人 主 義 の 表 れと いえよう. Ⅱ 現 地 調 査 について 1 天 津 都 市 住 民 のアンケート 調 査 につ いて 7 アンケート 調 査 地 については, 数 多 くの ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 地 方 資 料 を 閲 読 し, 実 際 にその 場 を 十 数 回 にわたり 訪 れ, 何 度 も 考 察 したあとで 決 定 した. 最 終 的 には 三 つの 場 所 を 選 択 した. それは 南 開 区 の 栄 遷 東 里 と 航 天 北 里, それから 河 西 区 の 銀 河 広 場 である. 栄 遷 東 里 と 航 天 北 里 は 天 津 の 西 南 部 に 位 置 している. 南 開 区 の 面 積 は39 平 方 キロメ ートル.2005 年 の 数 字 データによると 人 口 は 約 79 万 人 である.また, 銀 河 広 場 は 天 津 市 区 の 東 南 部 に 位 置 している. 河 西 区 の 面 積 は37 平 方 キロメートル, 人 口 は 約 71 万 人 である. この 三 ヶ 所 を 調 査 の 対 象 地 として 選 択 し たのは 以 下 の 理 由 による. まず, 航 天 北 里 と 栄 遷 東 里 を 選 択 したの は, 主 にアンケート 調 査 に 当 たって, 筆 者 が 特 別 な 階 層 や 傾 向 の 人 に 偏 った 地 区 やそ の 人 々を 対 象 にするのでなく, 一 般 庶 民 (18 歳 以 上 ) を 調 査 対 象 にしたかったか らである. 具 体 的 に,この 二 つの 場 所 は 南 開 区 の 康 復 路 と 白 堤 路 が 交 差 するあたりに 位 置 しており, 両 区 域 の 住 居 は 日 本 の 住 宅 団 地 に 相 似 していて,しっかりとした 一 つ のコミュニティーが 形 成 されている. 住 居 地 内 には 個 人 飲 食 店, 食 品 商 店, 床 屋, 自 転 車 修 理 場, 印 刷 屋 など,さらに, 幼 稚 園 もあった.2006 年 7 月 末 の 時 点 の 調 査 データによると, 栄 遷 東 里 の 居 民 区 域 に 居 民 1055 戸, 延 べ2895 人 が 住 んでい る. 住 居 は1985 年 に 政 府 からの 建 設 資 金 で 建 てたられたものであり, 建 物 そのも のは 現 在 の 高 層 住 宅 と 比 べて 小 さめで, 一 戸 あたりの 部 屋 面 積 の 平 均 は40~50 平 方 メートルしかない. 住 民 のほとんどは 都 市 建 設 のために, 水 上 公 園 に 隣 接 する 八 里 台 や 挂 甲 寺 などの 地 から 引 っ 越 しして 来 た 8 人 ばかりで, 住 民 委 員 会 の 人 に 聞 いたとこ ろ,この 住 宅 に 住 んでいる 家 庭 の 収 入 は 比 較 的 低 く, 貧 困 家 庭 や 退 職 失 業 者 も 少 なく ないとのことであった. 航 天 北 里 は 栄 遷 東 里 に 隣 接 している. 栄 遷 東 里 同 様 2006 年 7 月 末 時 点 の 調 査 デ ータによると,この 居 民 区 域 は 居 民 900 戸, 延 べ3120 人 が 住 んでいる. 住 居 は 90 年 代 半 ばに 建 てられた. 栄 遷 東 里 と 違 7

って,この 住 居 は 不 動 産 開 発 商 人 によって 建 てられたものである. 建 売 住 宅 である 為, 建 築 面 積 も 普 通 の 広 さで, 一 戸 あたりの 平 均 住 居 面 積 は 約 60~70 平 方 メートル. 住 民 の 多 くは 天 津 市 内 の 各 地 区 から 来 てい る. 家 の 収 入 は 比 較 的 安 定 しているように 見 える.おそらく, 多 くは 中 間 層 の 生 活 水 準 に 属 するといえる.したがって,この 二 ヵ 所 はまさに 一 般 庶 民 のカテゴリーに 属 していると 考 えられる.この 二 つの 社 区 コミュニティはともに, 天 津 の 代 表 的 な 住 宅 団 地 である. つぎに 銀 河 広 場 をアンケート 調 査 地 とし て 選 択 した 理 由 は, 筆 者 がアンケート 調 査 を 実 施 するに 当 たって, 普 遍 的 な 意 味 を 持 つ 一 般 の 天 津 市 民 を 調 査 対 象 にしたか ったからである. 市 民 の 集 いの 場 として, この 都 市 広 場 の 地 理 的 位 置 と 機 能 は 特 有 の 風 格 を 持 っている. 天 津 市 の 市 区 南 部 の 中 環 線 と 外 環 線 の 間 に 位 置 し, 周 辺 には 多 く の 高 層 住 宅 マンションがあるほかに,さら に 天 津 市 青 少 年 活 動 センター, 天 津 博 物 館, 科 学 技 術 館 などに 隣 接 している.ここは 天 津 市 民 たちにとって 最 も 重 要 な 公 共 空 間 で あり, 広 さといい 最 も 大 きな 文 化 活 動 と 憩 いの 場 所 である. 広 場 は, 特 に 週 末 の 午 後, 或 は 休 日 などには 大 変 賑 やかである. 中 に は 太 極 拳 をしている 人,テープレコーダー から 流 れる 音 楽 のリズムに 乗 って 踊 ってい る 人 たち,ローラースケートをしている 若 者 たち, 凧 揚 げを 楽 しんでいる 人 たち,バ ドミントンをしている 人 たち, 将 棋 やトラ ンプを 楽 しんでいる 人 たち,ベンチでお 茶 を 飲 みながらおしゃべりを 楽 しんでいるた ち, 芝 生 の 沿 道 に 沿 ってのんびり 散 策 して いる 人 たちなどでごった 返 している.この 広 場 を 訪 れる 市 民 は 流 動 性 が 比 較 的 高 く, 彼 らの 職 業 も 地 位 もさまざまである. 周 辺 に 住 む 住 民 がいれば, 青 少 年 活 動 センター や 天 津 博 物 館, 科 学 技 術 館 などの 文 化 施 設 を 訪 れる 人 をはじめ,たまたま 通 りかかっ た 人 たちもいる. 航 天 北 里 と 栄 遷 東 里 が 静 であるのに 対 し, 銀 河 広 場 はまさに 動 である.この 二 極 から 捉 えることが, 今 回 の 調 査 には 欠 かせないと 考 えた.この ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 ような 場 所 でアンケート 調 査 を 実 施 すれば, 調 査 対 象 者 としてカバーできる 地 区 や 階 層 は 当 然 広 くなるであろう.このような 地 区 を 組 み 合 わせてアンケート 調 査 を 実 施 する ことは,アンケートに 普 遍 性 を 持 たせたい と 考 える 筆 者 の 意 図 にまさに 適 している. 2 アンケート 調 査 実 施 の 具 体 的 な 日 時 と 形 式 アンケート 調 査 を 行 う 日 時 は 主 に, 調 査 の 形 式 や 作 業 量,そして 区 域 の 市 民 の 活 動 リズム,アンケートの 回 収 効 率 の 原 則 に 基 づいて 決 めた. 調 査 日 時 は 当 初 7 月 から9 月 末 までの 二 ヶ 月 間 と 予 定 していたが, 調 査 実 施 中 にさまざまな 問 題 に 遭 遇 したため, 一 枚 あたりのアンケート 回 収 にかかる 時 間 量 が 増 えてしまい, 最 終 的 には11 月 初 め までにかかってしまった. この 期 間 に 調 査 を 実 施 した 理 由 は 二 つ 挙 げられる.まずは, 調 査 員 が 夏 休 みの 時 間 を 十 分 に 利 用 して 調 査 できるということ. そしてもう 一 つの 主 な 理 由 は,この 時 期 の 日 没 時 間 が 比 較 的 遅 いということである. 外 は 遅 くまで 明 るく, 市 民 の 野 外 活 動 の 機 会 が 多 いので,それに 伴 い 調 査 対 象 者 に 直 接 接 触 する 機 会 も 多 くなるのである.さら にその 場 でアンケート 用 紙 を 配 布, 回 収 す ることが 可 能 になることから, 調 査 用 紙 の 回 収 効 率 を 向 上 させることにもつながる. 航 天 北 里 と 栄 遷 東 里 の 居 民 区 域 での アンケート 調 査 は, 主 に 午 後 4 時 から 午 後 7 時 の 間 で 行 なった.この 時 間 帯 はちょう ど 住 民 たちの 夕 食 の 買 い 物,また, 仕 事 場 から 帰 宅 する 時 間,つまり 区 域 内 で 往 き 来 する 住 民 や 通 勤 者 の 数,さらには 在 宅 する 人 の 数 も 多 いと 考 えたからである.そして, 銀 河 広 場 でのアンケート 調 査 は, 主 に 週 末 と 祝 日 休 日 の 午 後 5 時 以 後 の 時 間 に 集 中 して 行 った.この 広 場 を 事 前 調 査 したとこ ろ, 次 の 二 点 に 気 がついた.それは7,8, 9 月 の 平 日 の 昼 間,この 広 場 を 利 用 する 人 が 非 常 に 少 ないということである.この 理 由 として 一 つ 考 えられるのは,この 時 期 は ちょうど 日 差 しが 強 く,その 熱 は 地 面 から 上 昇 し, 広 場 全 体 が 大 変 暑 くなることであ 8

る.もう 一 つは, 平 日 は 学 校 や 仕 事 に 行 く 人 が 多 く,この 時 間 帯 の 広 場 ではほとんど 定 年 退 職 した 年 配 の 方 や 博 物 館, 科 学 技 術 館 などを 参 観 する 小 学 生 や 観 光 客,あるい は 凧 を 売 る 商 人 などしかいなかったことで ある.このような 事 前 調 査 の 結 果 から, 週 末 や 休 日 祝 日 の 午 後 4 時 から 午 後 7 時 の 時 間 帯 が 天 候 も 比 較 的 涼 しく,また 人 々がゆ ったりとした 時 間 を 持 っていると 考 えられ, この 時 間 帯 に 決 定 したのである. アンケート 調 査 の 進 展 は 予 期 していたよ りも 簡 単 ではなかった. 予 備 調 査 の 段 階 で すぐに 問 題 に 直 面 した. 居 民 区 域 に 入 って, 最 初 に 当 地 の 居 民 委 員 会 と 連 絡 を 取 り, 当 局 の 理 解 と 協 力 を 得 たうえで, 三 つの 場 所 に 対 して 三 回 にわたって 予 備 調 査 をした. 調 査 を 始 めてすぐに, 最 初 に 想 定 した 入 居 調 査 ( 戸 別 訪 問 )の 形 式 では 住 民 に 理 解 が 得 られないということが 明 らかになっ た. 調 査 の 効 率 が 非 常 に 低 く, 一 棟 約 30 戸 もの 家 庭 をノックして, 僅 か 三 戸 の 家 だ けが 渋 々 二 重 に 鍵 がかかったドアをあげて くれ, 調 査 の 説 明 をしてからようやく 受 け 入 れてくれた.さらに 調 査 をする 中 で 新 た な 問 題 が 発 生 した. 調 査 をする 中 で, 対 象 者 の 教 育 水 準 の 格 差 の 大 きさを 改 めて 実 感 したのである.まったく 字 が 読 めない 人 が いれば, 短 時 間 で 突 然 アンケート 調 査 の 説 明 をしても,その 内 容 が 理 解 できない 人 が いるのである.また 屋 外 の 調 査 では, 眼 鏡 を 掛 けていないために 目 が 霞 んでアンケー トの 字 がはっきり 見 えないというケースに も 遭 遇 した.これらの 問 題 にいち 早 く 対 応 しなければ 調 査 が 捗 らないと 認 識 し, 早 速, 筆 者 は 補 助 調 査 員 らと 再 度 検 討 した. 対 応 策 の 結 論 は, 調 査 方 法 については, 主 に 屋 外 で, 無 作 為 抽 出 で 偶 然 に 出 会 った 対 象 者 と 直 接 に 接 触 する 調 査 形 式 をとる,という ものであった. 具 体 的 には, 住 民 に 対 して は, 直 接 調 査 の 目 的 を 調 査 対 象 者 に 説 明 し, その 場 でアンケート 用 紙 を 配 布 する.そし て,その 場 で 対 象 者 に 質 問 項 目 を 解 答 して いただき, 回 収 するという 形 式 である 9.ま た 調 査 に 当 たって, 字 が 読 めない 人, 或 は, 質 問 内 容 が 完 全 に 理 解 できない 人, 目 が 霞 ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 んで 字 がはっきり 見 えない 人 などに 対 して は, 調 査 員 たちが 自 ら 質 問 事 項 と 回 答 選 択 肢 を 対 象 者 に 読 み 上 げるという 方 法 を 取 っ た. 対 象 者 の 都 合 によっては, 調 査 員 がア ンケート 用 紙 記 入 を 手 伝 う,ということに した.このように, 調 査 対 象 者 一 人 一 人 の 都 合 に 基 づいて 調 査 を 行 うといった 調 査 形 式 をとったのである. 即 ち, 即 配 布 即 回 収, 即 問 即 答 という 形 式 である.この 方 法 を 採 用 するにあたっては, 当 然, 調 査 員 の 仕 事 の 難 しさと 仕 事 量 の 増 加 を 覚 悟 しなけ ればならない.しかし,この 方 法 をとるこ とによって, 調 査 の 質 が 向 上 し,なおかつ, その 場 でアンケート 用 紙 を 回 収 するので, アンケート 用 紙 の 回 収 率 を 上 げることがで きた. 3 聞 き 書 きとインタビュー アンケート 調 査 以 外 に, 筆 者 は 天 津 でし ばしば 休 みなどの 日 を 利 用 して, 中 心 繁 華 街 付 近 のいくつかの 百 貨 店 や 異 なるランク のさまざまな 種 類 の 服 飾 市 場 で, 市 民 の 衣 生 活 を 観 察 し,また, 店 員 や 来 客, 街 の 人 たちに 対 して 聞 き 取 り 調 査 を 実 施 した.ま た,その 場 で 彼 らにいくつかの 質 問 をした. 例 えば, 今 の 流 行 のファッション,ブラン ド, 布 地, 服 のデザインなどについてどの ように 考 えているのか, 一 番 売 れるのはど んな 衣 服 なのか,などである. 一 人 一 人 短 時 間 ではあるが, 話 す 中 で 彼 らから 新 たな, 有 力 な 最 新 情 報 を 得 ることができた. その 外, 筆 者 は 服 飾 企 業 の 責 任 者 などに 連 絡 を 取 り, 或 は, 服 飾 製 造 企 業 者 や 服 飾 文 化 学 者 たちと 知 り 合 って, 彼 らに 直 接, 服 飾 の 変 遷 の 見 方 や 彼 らの 衣 生 活 に 纏 わる さまざまな 体 験 などを 中 心 として,さまざ まな 項 目 について 単 独 インタビューを 実 施 した. 天 津 にある 三 つの 服 飾 製 造 会 社 も 参 観 した.また, 服 飾 専 攻 の 学 生 らと 座 談 会 を 行 ない, 彼 らが 主 催 した 服 飾 文 化 活 動 に も 参 加 した. 天 津 市 以 外 では, 筆 者 はまた 学 会 発 表 会 と 休 日 を 利 用 して, 北 京, 承 徳, 曲 阜 等 の 地 においても 同 様 な 調 査, 考 察 を 行 なった.これらのインタビューや 聞 き 書 き 調 査,たま, 自 らの 目 で 確 認, 体 で 感 じ 9

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 たことによって,アンケートのデータに 対 する 理 解 説 明 をより 深 めることができた. これらを 通 じて, 今 回 の 調 査 をより 信 憑 性 の 高 いものにでき,また, 天 津 市 民 におけ る 衣 生 活 に 対 する 認 識 理 解 の 実 際 に 近 づ くことができたと 考 える. 4 アンケートの 分 配 回 収 結 果 このアンケート 調 査 を 取 り 入 れる 初 段 階 で, 最 低 1,000 枚 を 配 布 しなければな らないという 最 低 目 標 10 を 掲 げた. 三 つの 区 域 に 対 して,アンケート 用 紙 の 配 布 比 は 4:4:2とした. 栄 遷 東 里 と 航 天 北 里 の 二 つの 居 民 区 域 に 対 してはそれぞれ4 割 に 設 定 し, 銀 河 広 場 は2 割 とした.アンケー ト 調 査 を 実 施 する 過 程 で, 六 名 の 調 査 員 を 三 組 に 分 け,それぞれ 各 現 地 で 調 査 させた. 調 査 中 に 問 題 が 発 生 した 場 合,また, 調 査 対 象 者 の 性 別, 年 齢 の 割 合 などを 可 能 な 限 り 均 等 にする 為 に, 調 査 中 に, 互 いに 絶 え ず 連 絡 を 取 り 合 わせた. 三 ヶ 月 あまりの 間 に 配 布 したアンケート 用 紙 は 全 部 で1,026 枚, 回 収 した 回 答 は1,024 枚 で, 回 収 率 は99.8%に 達 した. 解 答 用 紙 のうちに 有 効 なアンケー トは1,021 枚.その 内 訳 は, 栄 遷 東 里, 航 天 北 里 あわせて808 枚, 銀 河 広 場 は2 13 枚 であった. 調 査 対 象 者 の 年 齢 と 性 別 における 具 体 的 な 状 況 については, 下 記 の 集 計 データの 通 りである. 表 1 調 査 対 象 者 の 年 齢 と 性 別 年 齢 男 ( 人 ) 女 ( 人 ) 性 別 未 記 入 者 合 計 ( 人 ) 18~30 歳 160 120 1 281 31~40 歳 102 110 212 41~50 歳 87 111 4 202 51~60 歳 79 89 1 169 61 歳 以 上 83 67 150 年 齢 未 記 入 者 7 7 合 計 511 497 13 1,021 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 表 2 調 査 対 象 者 の 職 業 職 業 人 数 % サラリーマン 279 27.3 管 理 職 122 12.0 幹 部 81 7.9 教 師 61 6.0 技 術 者 81 7.9 個 人 経 営 137 13.4 その 他 249 24.4 職 業 未 記 入 者 11 1.1 合 計 1,021 100.0 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 10

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 表 3 調 査 対 象 者 の 学 歴 学 歴 人 数 % 中 学 以 下 259 25.4 高 中 395 38.7 大 学 334 32.7 研 究 生 32 3.1 学 歴 未 記 入 者 1 0.1 合 計 1,021 100.0 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 集 計 データのように,アンケート 解 答 用 紙 には, 調 査 の 経 験 不 足 などの 理 由 のため, 数 名 の 調 査 対 象 者 が 年 齢 性 別 などを 記 入 することを 拒 否 した.その 結 果, 回 収 アン ケートの 中, 性 別 と 年 齢 両 方 記 入 がなかっ たのは 7 名.また, 性 別 だけの 未 記 入 者 が 6 名 おり, 前 の 7 名 と 合 わせて 年 齢 性 別 が 確 定 できないものが 13 名 いた. 職 業 未 記 入 者 は 11 名, 学 歴 未 記 入 者 が 1 名 いる.し かし, 全 体 の 調 査 対 象 者 の 年 齢 と 性 別 の 割 合 については, 比 較 的 均 衡 が 取 れていると 思 う. 職 業 では, その 他 が 割 合 としては 24.4%とやや 高 いが, 比 較 的 均 衡 が 取 れて いる.また. 学 歴 については, 高 校 卒 業 の 対 象 者 が 38.7%, 大 学 以 上 は 合 計 すると 35.8%にもなる.これらの 集 計 結 果 は 天 津 市 民 の 教 育 レベルが 比 較 的 高 いことを 反 映 している.ただし, 注 意 すべきことは 所 謂 大 学 という 中 には 通 信 教 育, 社 会 人 教 育, その 他 いろいろな 専 門 学 校 などが 含 まれて いることである. 上 記 の 三 つの 調 査 地 の 回 収 結 果 から 見 る と,その 有 効 な 回 収 数 は 基 本 的 に 当 初 設 定 した 割 合 に 達 していると 考 える. 5 各 質 問 事 項 とその 回 答 集 計 結 果 アンケート 質 問 事 項 については 全 部 で1 1 問 を 設 けた. 前 9つの 質 問 事 項 ( 質 問 1 ~ 質 問 9)はすべて 20 世 紀 以 来 の 中 国 服 飾 文 化 と 社 会 思 想 との 関 係 をめぐる 問 題 である. 回 答 選 択 肢 はいずれも4 項 目 で, それぞれは 大 いに 関 係 がある, ある 程 度 関 係 がある, 関 係 がない 分 からない と いうものである. 後 の2つの 質 問 ( 質 問 1 0, 質 問 11)は, 主 に 個 人 の 衣 生 活 の 意 識 ( 衣 服 を 選 ぶ 基 準 の 意 識, 個 人 主 体 か 社 会 主 体 か,また, 国 内 産 か 外 国 産 か)に 関 連 する 問 題 である. 質 問 10の 回 答 選 択 肢 は3 項 目 を 設 け,それぞれは 自 分 の 好 み, 他 人 の 好 み 分 からない とした. 質 問 1 1の 回 答 選 択 肢 も3 項 目 で,それぞれは 国 産 商 標, 外 国 商 標, どちらでもいい で ある. これらのすべての 質 問 に 対 して, 選 択 肢 から 一 つだけを 回 答 するとした. 質 問 1~ 質 問 10の 内 容 と,それぞれの 回 答 集 計 結 果, 年 齢 別 集 計 結 果 ( 表 )は 以 下 の 通 りで ある. < 清 朝 末 期 から 民 国 時 期 までの 中 国 衣 生 活 と 社 会 思 想 に 対 する 認 識 理 解 > 質 問 1:20 世 紀 の 初 期 から 新 中 国 が 建 国 する 前 までの50 年 間, 中 国 人 の 服 は 大 きく 変 化 した. 封 建 階 級 制 度 を 表 す 衣 服 は 社 会 から 消 えていた.しかしながら, 伝 統 の 衣 服 はまだ 存 在 していた.また,さらに, 外 国 の 様 式 の 衣 服 も,そして 中 洋 折 衷 の 衣 服 も 現 れ 始 めた. 例 えば, 長 袍 ( 男 性 用 の 中 国 式 の 長 衣 ), 馬 褂 (チョッキ), 現 代 旗 袍 (チャイナドレス), 中 山 服, 学 生 服, 背 広,ドレス, 西 式 軍 服 など.あ 11

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 なたは,この 種 の 変 化 は 当 時, 社 会 思 想 が 隆 盛 していたことと 関 係 があると 思 い ますか? 質 問 1 回 答 集 計 結 果 : 表 4 質 問 1の 回 答 人 数 率 大 いに 関 係 が ある(%) ある 程 度 関 係 が ある(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 栄 遷 東 里 航 天 北 里 330(40.9) 394(48.9) 38(4.7) 44(5.5) 銀 河 広 場 92(43.8) 111(52.9) 6(2.9) 1(0.5) 合 計 人 数 422(41.5) 505(49.7) 44(4.3) 45(4.4) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :( 未 回 答 者 :5 人 ) 表 5 質 問 1 の 年 齢 別 人 数 率 大 いに 関 係 が ある(%) ある 程 度 関 係 が ある(%) 関 係 ない (%) 分 からない (%) 30 歳 以 下 108(38.6) 153(54.6) 8(2.9) 11(3.9) 31~40 歳 84(39.6) 113(53.3) 7(3.3) 8(3.8) 41~50 歳 81(40.9) 100(50.5) 6(3.0) 11(5.6) 51~60 歳 82(48.5) 77(45.6) 7(4.1) 3(1.8) 61 歳 以 上 64(42.7) 58(38.7) 16(10.7) 12(8.0) 合 計 人 数 419(41.5) 501(49.7) 44(4.4) 45(4.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 は12 人 ) 表 6 質 問 1 の 性 別 人 数 率 大 いに 関 係 が ある(%) ある 程 度 関 係 がある(%) 関 係 ない (%) 分 からない (%) 男 性 230(45.2) 233(45.8) 27(5.3) 19(3.7) 女 性 185(37.1) 271(54.3) 17(3.4) 26(5.2) 合 計 人 数 415(41.2) 504(50.0) 44(4.4) 45(4.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 13 人 ) 表 7 質 問 1の 学 歴 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ ある 程 度 関 係 があ 分 からない 関 係 ない(%) る(%) る(%) (%) 中 学 以 下 100(38.9) 115(44.7) 22(8.6) 20(7.8) 高 校 153(38.9) 204(51.9) 16(4.1) 20(5.1) 大 学 151(45.3) 172(51.7) 6(1.8) 4(1.2) 大 学 院 18(56.3) 13(40.6) 0(0.0) 1(3.1) 合 計 人 数 422(41.6) 504(49.7) 44(4.3) 45(4.4) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 6 人 ) 12

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 表 8 質 問 1 の 職 業 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 ない(%) 分 からない (%) サラリーマン 104(37.3) 152(54.5) 15(5.4) 8(2.9) 管 理 職 51(41.8) 57(46.7) 9(7.4) 5(4.1) 幹 部 39(48.1) 40(49.4) 0(0.0) 2(2.5) 教 職 23(37.7) 36(59.0) 1(1.6) 1(1.6) 技 術 者 41(50.6) 37(45.7) 1(1.2) 2(2.5) 自 営 業 51(37.2) 71(51.8) 7(5.1) 8(5.8) その 他 111(44.6) 108(43.4) 11(4.4) 19(7.6) 合 計 人 数 420(41.6) 501(49.6) 44(4.4) 45(4.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 11 人 ) 表 4 の 統 計 結 果 に 示 したように,41.5% の 人 が 20 世 紀 の 前 半 50 年 間 において, 中 国 における 衣 生 活 の 変 化 は 当 時 の 社 会 思 想 の 飛 躍 と 大 いに 関 係 がある と 認 識 してい る. ある 程 度 関 係 がある の 49.7%と 合 わ せると 91.2%となり, 非 常 に 高 い 率 で 関 係 があると 認 識 していることが 分 かる. 表 5 の 年 齢 統 計 結 果 で 示 したように,6 0 歳 までは 年 齢 が 高 くなるにつれて 大 い に 関 係 がある の 率 が 高 くなる 傾 向 が 見 ら れる. 一 方,60 歳 以 上 に, 関 係 ない と 答 えた 人 が 多 く 見 られる.これはこの 年 代 に, 中 学 以 下 の 学 歴 の 人 が 多 いことが 理 由 となっていることが 考 えられる.( 表 7 参 照 ) 表 6の 男 女 別 統 計 結 果 では, 男 女 の 比 率 に 目 立 った 差 はないが, 男 性 では 大 いに 関 係 がある と ある 程 度 関 係 がある がそれ ぞれ 45% 程 度 であるのに 対 し, 女 性 におい ては ある 程 度 関 係 がある の 比 率 が 大 い に 関 係 がある より 約 17% 高 い. 表 7 の 学 歴 統 計 結 果 から, 学 歴 が 高 くな ればなるほど, 両 者 の 関 係 性 に 対 して 肯 定 的 見 方 を 持 つ 傾 向 があることが 見 て 取 れる. 表 8 の 職 業 別 統 計 結 果 の 中 で, 両 者 に 関 係 ない と 答 えた 人 の 比 率 が 最 も 少 ないの は 幹 部 と 称 する 人 たちで,その 次 に 技 術 者, 教 職 となる.ここでも, 知 識 レベルの 違 い が, 関 係 性 の 有 無 についての 認 識 の 差 にな って 現 れているように 思 われる. < 民 国 時 期 における 中 山 服 と 社 会 思 想 の 関 わりに 対 する 認 識 理 解 > 質 問 2:あなたは, 中 山 服 の 創 製 流 行 は 孫 文 が 提 唱 した 三 民 主 義 思 想 や,その 他 の 民 主, 平 等 の 思 想 による 影 響 と 関 係 があると 思 いますか? 質 問 2 回 答 集 計 結 果 : 表 9 質 問 2の 回 答 人 数 率 大 いに 関 係 が ある(%) ある 程 度 関 係 がある(%) 関 係 ない (%) 分 からない (%) 栄 遷 東 里 航 天 北 里 251 (31.1) 390(48.3) 85(10.5) 81(10.0) 銀 河 広 場 68 (32.1) 103(48.6) 26(12.3) 15(7.1) 合 計 人 数 319 (31.3) 493(48.4) 111(10.9) 96(9.4) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 2 人 ) 13

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 表 10 質 問 2 の 年 齢 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 がある (%) 関 係 ない (%) 分 からない (%) 30 歳 以 下 66(23.5) 139(49.5) 38(13.5) 38(13.5) 31~40 歳 70(33.0) 101(47.6) 24(11.3) 17(8.0) 41~50 歳 68(34.0) 96(48.0) 22(11.0) 14(7.0) 51~60 歳 56(33.1) 83(49.1) 17(10.1) 13(7.7) 61 歳 以 上 57(38.0) 69(46.0) 10(6.7) 14(9.3) 合 計 人 数 317(31.3) 488(48.2) 111(11.0) 96(9.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 9 人 ) 表 11 質 問 2 の 性 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 がある (%) 関 係 ない (%) 分 からない (%) 男 性 177(34.6) 235(45.9) 54(10.5) 46(9.0) 女 性 138(27.7) 254(50.9) 57(11.4) 50(10.0) 合 計 315(31.2) 489(48.4) 111(11.0) 96(9.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 10 人 ) 表 12 質 問 2 の 学 歴 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 がある (%) 関 係 な い (%) 分 からない (%) 中 学 以 下 81(31.4) 111(43.0) 28(10.9) 38(14.7) 高 校 117(29.7) 201(51.0) 41(10.4) 35(8.9) 大 学 107(32.0) 166(49.7) 39(11.7) 22(6.6) 大 学 院 13(40.6) 15(46.9) 3(9.4) 1(3.1) 合 計 318(31.2) 493(48.4) 111(10.9) 96(9.4) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 3 人 ) 表 13 質 問 2 の 職 業 別 人 数 率 大 いに 関 係 が ある(%) ある 程 度 関 係 がある (%) 関 係 ない (%) 分 からない (%) サラリーマン 103(36.9) 121(43.4) 27(9.7) 28(10.0) 管 理 職 44(36.1) 60(49.2) 12(9.8) 6(4.9) 幹 部 28(34.1) 41(50.0) 9(11.0) 4(4.9) 教 職 15(24.6) 38(62.3) 6(9.8) 2(3.3) 技 術 者 25(30.9) 40(49.4) 9(11.1) 7(8.6) 自 営 業 35(25.2) 71(51.1) 17(12.2) 16(11.5) その 他 67(26.9) 119(47.8) 30(12.0) 33(13.3) 合 計 317(31.3) 490(48.4) 110(10.9) 96(9.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 8 人 ) 14

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 表 9より, 質 問 2の 中 山 服 と, 孫 文 の 提 唱 した 三 民 主 義 思 想 や 民 主 平 等 などの 思 想 との 関 りについても,ほぼ 80%の 回 答 者 が,その 関 りの 存 在 を 肯 定 的 に 認 識 してい ることがわかる.その 一 方 で 関 係 ない, 分 らない とする 人 がそれぞれ 約 10%い る. 問 1 よりも 多 くなっているのは, 孫 文, 三 民 主 義, 中 山 服 という 具 体 的 な 事 項 について, 断 定 的 に 判 断 できない 人 が 多 かったことが 考 えられる. 表 10 においては, ある 程 度 関 係 がある とする 人 は, 年 代 間 であまり 差 がなく,そ れぞれ 50% 弱 となっているが, 大 いに 関 係 がある とする 人 は, 年 齢 が 上 がるにつれ て 増 加 する 傾 向 にあり,30 歳 未 満 と60 歳 以 上 では 約 15%の 開 きがある. 孫 文 は1 925 年 に 亡 くなっており, 孫 文 と 同 時 代 に 生 きた 人 はほとんどいないが,1980 年 ころまで 中 国 で 広 く 着 用 された 人 民 服 の 原 型 になったのが 中 山 服 であり, 対 象 者 の 人 生 体 験 や 受 けた 教 育 の 違 いが,そ の 差 に 現 れていることが 考 えられる. 表 11 については, 問 1と 同 じ 傾 向 が 見 ら れる.つまり, 関 係 ない, 分 らない と する 率 は, 男 女 でほぼ 同 じであるのに 対 し, 関 係 性 を 認 める 人 の 合 計 は 男 女 ほぼ 同 じ 率 になっているものの, 男 性 のほうが 大 い に 関 係 がある と,より 断 定 的 に 関 係 性 を 認 める 傾 向 にあることが 読 み 取 れる.そして, 学 歴 から 見 ると, 大 学 院 のような 高 学 歴 を 持 つ 人 の 方 が, 関 係 性 を 認 める 傾 向 が 高 い ことが 分 かる( 表 12). また 職 業 を 見 ると, 関 係 性 を 認 める 回 答 ( 大 いに 関 係 がある + ある 程 度 関 係 が ある )の 率 は 高 いほうから, 教 職, 管 理 職, 幹 部 の 順 となる( 表 13). < 民 国 時 期, 一 部 の 礼 服 と 見 なされた 衣 服 に 対 する 認 識 理 解 > 質 問 3: 民 国 時 期 に 入 って, 中 山 服 以 外 の 長 袍, 馬 褂, 現 代 旗 袍 (チャイナドレス)は 国 民 に 愛 され, 当 時 の 政 治 要 人 ら( 例 えば, 孫 文, 蒋 介 石, 魯 迅, 宋 氏 姉 妹 など)に も 好 まれて 着 用 された.なおかつ,これらの 服 は 国 の 礼 服 として 認 められた.この 現 象 は 当 時 の 熱 烈 な 中 華 民 族 意 識 ( 中 華 イデオロギー)と 関 係 があると 思 いますか. 質 問 3 回 答 集 計 結 果 : 表 14 質 問 3 の 回 答 人 数 率 大 いに 関 係 が ある(%) ある 程 度 関 係 がある(%) 関 係 ない (%) 分 からない (%) 栄 遷 東 里 航 天 北 里 292 (36.2) 396 (49.1) 64 (7.9) 55 (6.8) 銀 河 広 場 86 (40.8) 105 (49.8) 12 (5.7) 8 (3.8) 合 計 人 数 378 (37.1) 501 (49.2) 76 (7.5) 63 (6.2) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 3 人 ) 表 15 質 問 3 の 年 齢 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 が ある(%) 関 係 ない (%) 分 からない (%) 30 歳 以 下 97(34.5) 136(48.4) 24(8.5) 24(8.5) 31~40 歳 78(36.8) 107(50.5) 18(8.5) 9(4.2) 41~50 歳 70(35.2) 108(54.3) 11(5.5) 10(5.0) 51~60 歳 68(40.2) 79(46.7) 13(7.7) 9(5.3) 61 歳 以 上 63(42.0) 66(44.0) 10(6.7) 11(7.3) 合 計 人 数 376(37.2) 496(49.1) 76(7.5) 63(6.2) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 10 人 ) 15

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 表 16 質 問 3 の 性 別 人 数 率 性 别 大 いに 関 係 があ ある 程 度 関 係 が 関 係 ない 分 からない る(%) ある(%) (%) (%) 男 性 195(38.2) 244(47.7) 44(8.6) 28(5.5) 女 性 180(36.1) 253(50.7) 31(6.2) 35(7.0) 合 計 375(37.1) 497(49.2) 75(7.4) 63(6.2) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 (この 問 題 の 未 回 答 者 11 人 ) 表 17 質 問 3 の 学 歴 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 が ある(%) 関 係 ない (%) 分 からない (%) 中 学 以 下 98(38.0) 107(41.5) 22(8.5) 31(12.0) 高 校 139(35.4) 198(50.4) 38(9.7) 18(4.6) 大 学 124(37.1) 185(55.4) 13(3.9) 12(3.6) 大 学 院 17(53.1) 10(31.3) 3(9.4) 2(6.3) 合 計 378(37.2) 500(49.2) 76(7.5) 63(6.2) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 4 人 ) 表 18 質 問 3 の 職 業 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 が ある(%) 関 係 ない (%) 分 からない (%) サラリーマン 102(36.6) 141(50.5) 20(7.2) 16(5.7) 管 理 職 38(31.1) 69(56.6) 10(8.2) 5(4.1) 幹 部 32(39.0) 43(52.4) 4(4.9) 3(3.7) 教 職 26(42.6) 31(50.8) 3(4.9) 1(1.6) 技 術 者 41(50.6) 34(42.0) 3(3.7) 3(3.7) 自 営 業 52(37.7) 64(46.4) 10(7.2) 12(8.7) その 他 85(34.1) 115(46.2) 26(10.4) 23(9.2) 合 計 376(37.2) 497(49.1) 76(7.5) 63(6.2) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 9 人 ) 質 問 3については, 表 14のように, 回 答 者 の 約 86% 以 上 が 大 いに 関 係 がある, あるいは ある 程 度 関 係 がある と 回 答 し ており, 多 くの 人 が, 関 係 性 があると 認 識 していることが 分 かる. 表 15 から, 高 齢 層 になるにつれて 大 い に 関 係 がある を 回 答 した 割 合 が 高 くなる が, ある 程 度 関 係 がある まで 含 めた 場 合, 年 齢 層 別 の 違 いはほとんどなくなっており, この 項 目 について, 年 齢 層 の 違 いに 顕 著 な 差 は 見 られない.また, 性 別 による 差 もほ とんど 見 られない( 表 16). 表 17から, 大 学 院 の 人 は 大 いに 関 係 が ある の 回 答 率 が 最 も 高 く, 他 のカテゴリー よりそれぞれ15% 程 度 高 くなっている. ただし, ある 程 度 関 係 がある を 含 めた 場 合,ほぼ 同 率 に 近 くなる. 職 業 別 では, 大 いに 関 係 がある の 回 答 率 で 技 術 者 だけが 50%を 超 えている.ただし,この 設 問 で も,サラリーマン 管 理 職 幹 部 教 職 の グループでそれぞれ50%を 超 えており, 大 きな 差 は 認 められない( 表 18). 16

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 < 文 革 期 における 特 有 な 服 飾 文 化 の 形 成 と 社 会 主 体 思 想 との 関 係 に 対 する 認 識 > 質 問 4: 新 中 国 が 誕 生 してから 改 革 開 放 までの30 年 間, 中 国 人 の 衣 生 活 は 急 速 に 単 調 化 に 向 かって 進 み, 次 第 に 三 種 類 の 衣 服 ( 軍 便 服, 学 生 服, 毛 式 服 ), 三 種 類 の 色 彩 ( 藍 色, 緑 色, 灰 色 )がほぼ 中 国 全 体 の 服 飾 文 化 を 覆 うまでに 発 展 した.あなたは, この 現 象 は 当 時 の 極 端 な, 偏 った 社 会 主 体 思 想 が 社 会 全 体 をコントロールしたことと 関 係 があると 思 いますか. 質 問 4 回 答 集 計 結 果 : 表 19 質 問 4の 回 答 人 数 率 大 いに 関 係 が ある(%) ある 程 度 関 係 が ある(%) 関 係 ない (%) 分 からない (%) 栄 遷 東 里 と 航 天 北 里 357(44.5) 331(41.2) 58(7.2) 57(7.1) 銀 河 広 場 107(50.7) 73(34.6) 22(10.4) 9(4.3) 合 計 人 数 464(45.8) 404(39.8) 80(7.9) 66(6.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 7 人 ) 表 20 質 問 4の 年 齢 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ ある 程 度 関 係 があ 分 からない 関 係 ない(%) る(%) る(%) (%) 30 歳 以 下 96(34.5) 114(41.0) 37(13.3) 31(11.2) 31~40 歳 90(42.9) 92(43.8) 16(7.6) 12(5.7) 41~50 歳 93(46.3) 86(42.8) 11(5.5) 11(5.5) 51~60 歳 99(58.6) 62(36.7) 5(3.0) 3(1.8) 61 歳 以 上 84(56.4) 45(30.2) 11(7.4) 9(6.0) 合 計 人 数 462(45.9) 399(39.6) 80(7.9) 66(6.6) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 14 人 ) 表 21 質 問 4 の 性 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 がある (%) 関 係 ない(%) 分 からない (%) 男 性 244(47.6) 191(37.2) 44(8.6) 34(6.6) 女 性 214(43.4) 212(43.0) 35(7.1) 32(6.5) 合 計 458(45.5) 403(40.1) 79(7.9) 66(6.6) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 (この 問 題 の 未 回 答 者 15 人 ) 17

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 表 22 質 問 4 の 学 歴 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ ある 程 度 関 係 があ 分 からない 関 係 ない(%) る(%) る(%) (%) 中 学 以 下 120(47.1) 94(36.9) 18(7.1) 23(9.0) 高 校 164(41.7) 170(43.3) 33(8.4) 26(6.6) 大 学 164(49.2) 129(38.7) 24(7.2) 16(4.8) 研 究 生 16(50.0) 10(31.3) 5(15.6) 1(3.1) 合 計 464(45.8) 403(39.8) 80(7.9) 66(6.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 8 人 ) 表 23 質 問 4 の 職 業 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ ある 程 度 関 係 が 分 からない 関 係 ない(%) る(%) ある(%) (%) サラリーマン 130(47.1) 112(40.6) 21(7.6) 13(4.7) 管 理 職 53(43.4) 57(46.7) 8(6.6) 4(3.3) 幹 部 46(56.1) 26(31.7) 8(9.8) 2(2.4) 教 職 28(45.2) 29(46.8) 5(8.1) 0(.0) 技 術 者 36(44.4) 32(39.5) 8(9.9) 5(6.2) 自 営 業 57(41.6) 53(38.7) 12(8.8) 15(10.9) その 他 110(44.4) 94(37.9) 18(7.3) 26(10.5) 合 計 460(45.6) 403(40.0) 80(8.0) 65(6.4) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 13 人 ) 質 問 4 のアンケート 結 果 を 見 ると, 多 く の 人 たちが,この 時 期 の 衣 生 活 の 変 化 は 当 時 の 社 会 思 想 と 関 わっていると 認 識 してい ることが 分 かる. 大 いに 関 係 がある の 回 答 率 は 45.8%まで 達 し, ある 程 度 関 係 があ る と 合 わせると 85.6%となる( 表 19). 表 20( 年 齢 別 )から,30 歳 以 下 の 年 齢 層 で 関 係 があると 認 識 している 人 の 率 が 低 い 傾 向 があるのが 分 かる.この 層 では, 関 係 がない 13.3%, 分 からない 11. 2%と, 他 の 年 齢 層 と 開 きがある.この 層 の 多 くは, 改 革 開 放 以 降 に 生 まれた 世 代 で あり, 改 革 開 放 以 前 についての 認 識 があま りない 人 が 増 えていることがうかがえる. 一 方,30 歳 以 上 の 層 では, 多 くの 人 が 関 係 性 の 存 在 を 認 識 している.とりわけ51 ~60 歳 の 層 では,169 人 中 関 係 がな い と 答 えた 人 はわずかに5 人, 分 からな い と 答 えた 人 も3 人 と, 関 係 性 を 認 識 する 人 が 非 常 に 多 い 結 果 となった. 性 別 の 統 計 結 果 においては, 目 立 った 差 異 はないが, 若 干 男 性 の 大 いに 関 係 があ る の 回 答 率 が 高 い( 表 21). また 表 22( 学 歴 別 )では,どの 層 も40 ~50%が 大 いに 関 係 がある と 回 答 して おり, 大 きな 差 は 認 められない.その 正 反 対 の 関 係 がない の 回 答 率 では, 大 学 院 の 学 歴 をもつ 人 が 若 干 高 い 比 率 となった. 大 学 院 生 の 層 は, 母 集 団 が32 名 と, 他 の 層 と 比 較 して 総 数 が 少 ないため, 一 人 の 回 答 の 違 いによって 率 が 変 わる 幅 が 大 きくなっ てしまう 傾 向 にある.それにしても32 名 中 5 名 が 関 係 がない と 答 えているのは, やはり 一 つの 傾 向 と 見 るべきだろう. 表 23( 職 業 別 )を 見 ると, 大 いに 関 係 がある の 回 答 率 の 中 で, 幹 部 の 層 が 最 も 高 くなっているが, ある 程 度 関 係 がある ま でを 合 計 した 場 合, 教 職 の 層 が92.0% と, 最 も 多 くなる. 管 理 職 も90.1%が 関 係 性 を 認 識 しており, 幹 部 (87.8%) 18

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 はサラリーマン(87.7%)とほぼ 同 率 となる. < 文 革 中, 一 部 伝 統 の 衣 服 と 洋 服 の 消 失 に 対 する 認 識 理 解 > 質 問 5: 新 中 国 の 誕 生 から 改 革 開 放 まで, 特 に 文 化 大 革 命 の 頃, 長 袍 馬 褂 現 代 旗 袍 と いった 類 の 一 部 の 伝 統 衣 服 と 背 広,ドレスなど 西 洋 の 要 素 を 持 った 衣 服 が, 服 飾 市 場 からほぼ 姿 を 消 した.この 現 象 は, 当 時 の 人 々が 自 ら< 革 命 的 立 場 >であること を 表 すために 着 用 することを 望 まなかったこと, 或 は 批 判 される 対 象 になることを 恐 れて 着 用 することが 出 来 なかったことと 関 係 がありますか? 質 問 5 回 答 集 計 結 果 : 表 24 質 問 5 の 回 答 人 数 率 大 いに 関 係 が ある(%) ある 程 度 関 係 が ある(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 栄 遷 東 里 と 航 天 北 里 304 (37.8) 330 (41.0) 120 (14.9) 50 (6.2) 銀 河 広 場 73 (34.4) 80 (37.7) 46 (21.7) 13 (6.1) 合 計 人 数 377 (37.1) 410 (40.4) 166 (16.3) 63 (6.2) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 5 人 ) 表 25 質 問 5 の 年 齢 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 30 歳 以 下 73(26.1) 110(39.3) 70(25.0) 27(9.6) 31~40 歳 65(31.0) 100(47.6) 35(16.7) 10(4.8) 41~50 歳 85(42.3) 76(37.8) 26(12.9) 14(7.0) 51~60 歳 76(45.0) 71(42.0) 19(11.2) 3(1.8) 61 歳 以 上 76(51.0) 49(32.9) 15(10.1) 9(6.0) 合 計 人 数 375(37.2) 406(40.2) 165(16.4) 63(6.2) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 12 人 ) 表 26 質 問 5 の 性 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 男 性 192(37.4) 195(38.0) 94(18.3) 32(6.2) 女 性 181(36.6) 211(42.6) 72(14.5) 31(6.3) 合 計 373(37.0) 406(40.3) 166(16.5) 63(6.3) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 13 人 ) 19

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 表 27 質 問 5 の 学 歴 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 中 学 以 下 94(36.7) 91(35.5) 45(17.6) 26(10.2) 高 校 155(39.4) 158(40.2) 56(14.2) 24(6.1) 大 学 116(34.7) 149(44.6) 59(17.7) 10(3.0) 大 学 院 11(34.4) 12(37.5) 6(18.8) 3(9.4) 合 計 376(37.0) 410(40.4) 166(16.4) 63(6.2) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 6 人 ) 表 28 質 問 5 の 職 業 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) サラリーマ ン 107(38.8) 101(36.6) 48(17.4) 20(7.2) 管 理 職 37(30.1) 61(49.6) 21(17.1) 4(3.3) 幹 部 28(34.1) 35(42.7) 17(20.7) 2(2.4) 教 職 22(35.5) 34(54.8) 5(8.1) 1(1.6) 技 術 者 36(44.4) 27(33.3) 14(17.3) 4(4.9) 自 営 業 42(30.7) 61(44.5) 20(14.6) 14(10.2) その 他 103(41.4) 89(35.7) 40(16.1) 17(6.8) 合 計 375(37.1) 408(40.4) 165(16.3) 62(6.1) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 11 人 ) 質 問 5 の 統 計 結 果 を 見 ると, 人 々は 両 者 の 関 係 に 対 して 比 較 的 高 い 認 識 を 持 ってい ると 言 える.しかし, 表 24で 示 したよう に, 関 係 がない あるいは 分 からない と 答 えた 人 は 22,5% 以 上 にも 及 んでいた. このことは 年 齢 別 で 見 た 場 合,30 歳 以 下 に 顕 著 で, 関 係 がない は25.0%, 分 からない は9.6%になり,3 人 に1 人 以 上 が 関 係 がない あるいは 分 からない と 答 えている.これは,おそらく 30 歳 以 下 の 回 答 者 がその 当 時 の 情 勢 について, 実 際 自 ら 体 験 していないことによる 結 果 ではない かと 思 う. 一 方, 大 いに 関 係 がある と あ る 程 度 関 係 がある の 合 計 は,31 歳 から4 0 歳 の 層 では78.6%.41 歳 以 上 の 層 ではすべて80%を 超 えている.51 歳 ~ 60 歳 の 層 では87.0%の 人 が, 関 係 性 を 認 識 していることになる.また,61 歳 以 上 の 層 では51.0%の 人 が 大 いに 関 係 がある と 回 答 しており, 自 らの 体 験 の 有 無 がアンケート 結 果 に 顕 著 に 現 れていると 考 えられる.( 表 25). また, 性 別 ( 表 26), 学 歴 ( 表 27)につ いては, 目 立 った 差 異 は 認 められない. 表 28( 職 業 別 )から, 大 いに 関 係 がある と 回 答 した 人 の 比 率 は,1 位 技 術 者,2 位 その 他 となっているが, ある 程 度 関 係 がある まで 含 めた 関 係 性 を 認 める 回 答 者 の 合 計 では 教 職 の 層 が90.3%と, 圧 倒 的 に 多 くなる. 次 に 管 理 職 の79.7%が 続 くが, 以 下 それぞれの 層 に 大 きな 差 は 認 められない. 20

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 < 台 湾 や 香 港, 海 外 華 僑 における 中 国 服 飾 文 化 に 対 する, 天 津 の 人 々の 捉 え 方 > 質 問 6: 一 時, 中 国 女 性 の 衣 服 を 代 表 する 現 代 旗 袍 (チャイナドレス)は 中 国 大 陸 で 姿 を 消 していた.しかし, 香 港 や 台 湾, 海 外 華 僑 の 女 性 社 会 の 中 で,その 種 の 衣 服 は 依 然 として 衣 生 活 の 中 で 定 着 していて, 女 性 に 好 んで 愛 用 されてきた.あなたは,こ れは 現 代 旗 袍 が 定 着 していた 地 域 に 普 遍 的 に 存 在 する 伝 統 文 化 を 重 んじ, 個 人 の 社 会 的 価 値 観 を 尊 重 する 考 え 方 と 関 係 があると 思 いますか? 質 問 6 回 答 集 計 結 果 : 表 29 質 問 6 の 回 答 人 数 率 大 いに 関 係 が ある(%) ある 程 度 関 係 が ある(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 栄 遷 東 里 と 航 天 北 里 231(28.7) 418 (52.0) 105(13.1) 50(6.2) 銀 河 広 場 57(27.0) 122(57.8) 23(10.9) 9(4.3) 合 計 人 数 288(28.4) 540(53.2) 128(12.6) 59(5.8) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 6 人 ) 表 30 質 問 6 の 年 齢 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 30 歳 以 下 70(24.9) 146(52.0) 50(17.8) 15(5.3) 31~40 歳 51(24.3) 124(59.0) 31(14.8) 4(1.9) 41~50 歳 66(33.0) 103(51.5) 16(8.0) 15(7.5) 51~60 歳 51(30.2) 92(54.4) 17(10.1) 9(5.3) 61 歳 以 上 47(31.8) 71(48.0) 14(9.5) 16(10.8) 合 計 人 数 285(28.3) 536(53.2) 128(12.7) 59(5.9) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 13 人 ) 表 31 質 問 6 の 性 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 男 性 153(29.9) 257(50.3) 67(13.1) 34(6.7) 女 性 128(25.8) 283(57.1) 61(12.3) 24(4.8) 合 計 281(27.9) 540(53.6) 128(12.7) 58(5.8) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 14 人 ) 21

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 表 32 質 問 6 の 学 歴 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 中 学 以 下 75(29.2) 120(46.7) 33(12.8) 29(11.3) 高 校 116(29.7) 208(53.2) 44(11.3) 23(5.9) 大 学 86(25.7) 195(58.4) 46(13.8) 7(2.1) 大 学 院 11(34.4) 16(50.0) 5(15.6) 0(.0) 合 計 288(28.4) 539(53.2) 128(12.6) 59(5.8) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 7 人 ) 表 33 質 問 6 の 職 業 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) サラリーマン 74(26.9) 146(53.1) 35(12.7) 20(7.3) 管 理 職 37(30.1) 69(56.1) 11(8.9) 6(4.9) 幹 部 26(32.1) 42(51.9) 12(14.8) 1(1.2) 教 職 13(21.0) 45(72.6) 3(4.8) 1(1.6) 技 術 者 21(25.9) 42(51.9) 17(21.0) 1(1.2) 自 営 業 39(28.3) 71(51.4) 18(13.0) 10(7.2) その 他 75(30.1) 122(49.0) 32(12.9) 20(8.0) 合 計 285(28.2) 537(53.2) 128(12.7) 59(5.8) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 12 人 ) 質 問 6 については, 大 いに 関 係 がある と 回 答 した 人 が28.4%と,30%をき る 結 果 となった.しかし, ある 程 度 関 係 がある を 選 択 した 人 は50%を 超 え, 結 果 的 に 関 係 がある と 認 識 している 人 が 多 い,という 結 果 になった( 表 29). 年 齢 別 ( 表 30)と 性 別 ( 表 31)において は, 特 に 顕 著 な 違 いは 認 められなかった. 学 歴 別 ( 表 32)の 結 果 を 見 ると, 中 学 以 下 の 回 答 者 で 分 からない としている 人 が 12.8%,また, 分 からない としてい る 人 も11.3%おり, 合 計 24.1%. 中 学 以 下 の 学 歴 の 人 のほぼ4 人 に 1 人 が, 関 係 性 を 認 めていないという 結 果 となった. 職 業 別 ( 表 33)では, 教 職 の 層 が 大 い に 関 係 がある とした 率 が 低 いという 結 果 になったが,この 層 は72.6%が ある 程 度 関 係 がある を 選 択 しており,その 合 計 は 93.6%となり,きわめて 高 い 数 字 にな った. < 改 革 開 放 後 の 衣 生 活 の 多 様 性 と, 社 会 思 想 の 関 わりに 対 する 天 津 市 民 の 捉 え 方 > 質 問 7: 改 革 開 放 後 の 約 20 年 間, 中 国 人 の 衣 生 活 は 猛 スピードで 多 様 化,ファッション 化, 個 性 化 へと 向 かって 進 んできた.あなたは,この 局 面 の 形 成 は 社 会 思 想, 観 念 が 開 放 されたことと 関 係 があると 思 いますか? 22

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 質 問 7 回 答 集 計 結 果 : 表 34 質 問 7 の 回 答 人 数 率 大 いに 関 係 が ある(%) ある 程 度 関 係 が ある(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 栄 遷 東 里 と 航 天 北 里 429(53.5) 315(39.3) 32(4.0) 26(3.2) 銀 河 広 場 112(53.3) 81(38.6) 8(3.8) 9(4.3) 合 計 人 数 541(53.5) 396(39.1) 40(4.0) 35(3.4) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 9 人 ) 表 35 質 問 7 の 年 齢 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 30 歳 以 下 155(55.6) 102(36.6) 10(3.6) 12(4.3) 31~40 歳 91(43.3) 98(46.7) 14(6.7) 7(3.3) 41~50 歳 105(52.5) 77(38.5) 10(5.0) 8(4.0) 51~60 歳 96(57.1) 67(39.9) 1(0.6) 4(2.4) 61 歳 以 上 90(60.8) 49(33.1) 5(3.4) 4(2.7) 合 計 人 数 537(53.4) 393(39.1) 40(4.0) 35(3.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 16 人 ) 表 36 質 問 7 の 性 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 男 性 287(56.2) 187(36.6) 23(4.5) 14(2.7) 女 性 248(50.3) 207(42.0) 17(3.4) 21(4.3) 合 計 535(53.3) 394(39.2) 40(4.0) 35(3.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 17 人 ) 表 37 質 問 7 の 学 歴 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ ある 程 度 関 係 があ 分 からない 関 係 がない(%) る(%) る(%) (%) 中 学 以 下 129(50.8) 95(37.4) 19(7.5) 11(4.3) 高 校 207(52.9) 154(39.4) 15(3.8) 15(3.8) 大 学 181(54.2) 139(41.6) 6(1.8) 8(2.4) 大 学 院 24(75.0) 7(21.9) 0(.0) 1(3.1) 合 計 541(53.5) 395(39.1) 40(4.0) 35(3.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 10 人 ) 23

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 表 38 質 問 7 の 職 業 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ ある 程 度 関 係 があ 分 からない 関 係 がない(%) る(%) る(%) (%) サラリーマン 127(46.2) 129(46.9) 9(3.3) 10(3.6) 管 理 職 60(48.8) 54(43.9) 6(4.9) 3(2.4) 幹 部 45(54.9) 34(41.5) 1(1.2) 2(2.4) 教 職 33(53.2) 27(43.5) 1(1.6) 1(1.6) 技 術 者 53(65.4) 25(30.9) 1(1.2) 2(2.5) 自 営 業 69(50.0) 53(38.4) 8(5.8) 8(5.8) その 他 150(61.0) 73(29.7) 14(5.7) 9(3.7) 合 計 537(53.3) 395(39.2) 40(4.0) 35(3.5) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 14 人 ) 質 問 7 を 見 ると, 改 革 開 放 以 来 の 中 国 人 の 衣 生 活 の 変 化 は,その 時 期 の 社 会 思 想 が 解 放 されたことと 関 係 があると, 多 くの 人 が 認 識 していることが 分 かる.その 回 答 率 は 92.6%に 達 した( 表 34). さらに, 異 なる 年 齢 層 や 異 なる 性 別 にお いても,それぞれはこのような 高 い 率 にな っている. 特 に 51~60 歳 の 層 では 母 集 団 1 68 名 中, 関 係 がない とした 人 はわずか に1 名, 分 からない とした 人 も4 名 にと どまった.この 傾 向 は 60 歳 以 上 の 層 でも 見 られ,その 中 で 大 いに 関 係 がある と 認 識 している 率 はもっとも 高 くなっていて (60.8%), 比 較 的 高 い 年 齢 層 の 人 に, 関 係 性 を 強 く 認 識 している 傾 向 がうかがえる. ( 表 35, 表 36) 学 歴 においては, 高 学 歴 になるにつれて このような 認 識 が 高 くなる( 表 37). さらに,どの 職 業 の 層 においても, 関 係 性 を 認 める 認 識 が 高 い 回 答 率 を 得 ている. この 設 問 では, 幹 部 教 職 技 術 者 に 関 係 性 を 認 める 人 が 多 かったが, 特 に 技 術 者 に おいて,それを 強 く 認 識 している 傾 向 が 見 られた.( 表 38). < 服 飾 市 場 における 伝 統 衣 服 の 増 加 に 対 する 認 識 理 解 > 質 問 8: 今 日, 中 国 服 飾 市 場 においては, 多 くの 民 族,または 伝 統 の 要 素 をもった 衣 服 を 見 ることができる. 例 えば, 唐 装, 新 デザインのチャイナドレス, 馬 褂, 馬 甲, 腹 掛 け, 漢 服 など.あなたは,この 種 の 現 象 は, 現 在 社 会 で 流 行 っている, もう 一 度 伝 統 文 化 の 精 髄 を 見 直 し, 伝 統 文 化 の 精 髄 を 受 け 継 ぐ といった 各 種 の 社 会 思 潮 と 関 係 があると 思 いますか? 質 問 8 回 答 集 計 結 果 : 表 39 質 問 8 の 回 答 人 数 率 大 いに 関 係 が ある(%) ある 程 度 関 係 が ある(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 栄 遷 東 里 と 航 天 北 里 197(24.5) 461(57.3) 102(12.7) 44(3.5) 銀 河 広 場 53(25.5) 124(59.6) 21(10.1) 10(4.8) 合 計 人 数 250(24.7) 585(57.8) 123(12.2) 54(5.3) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 9 人 ) 24

ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010 表 40 質 問 8 の 年 齢 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 30 歳 以 下 65(23.3) 153(54.8) 44(15.8) 17(6.1) 31~40 歳 47(22.4) 129(61.4) 24(11.4) 10(4.8) 41~50 歳 53(26.5) 111(55.5) 26(13.0) 10(5.0) 51~60 歳 40(23.8) 106(63.1) 13(7.7) 9(5.4) 61 歳 以 上 44(29.7) 82(55.4) 15(10.1) 7(4.7) 合 計 人 数 249(24.8) 581(57.8) 122(12.1) 53(5.3) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 16 人 ) 表 41 質 問 8 の 性 別 人 数 率 大 いに 関 係 があ る(%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 男 性 122(23.9) 286(56.0) 80(15.7) 23(4.5) 女 性 126(25.6) 296(60.0) 41(8.3) 30(6.1) 合 計 248(24.7) 582(58.0) 121(12.1) 53(5.3) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 17 人 ) 表 42 質 問 8 の 学 歴 別 人 数 率 大 いに 関 係 がある (%) ある 程 度 関 係 があ る(%) 関 係 がない (%) 分 からない (%) 中 学 以 下 80(31.4) 124(48.6) 31(12.2) 20(7.8) 高 校 93(23.8) 226(57.9) 51(13.1) 20(5.1) 大 学 66(19.8) 215(64.4) 39(11.7) 14(4.2) 大 学 院 11(34.4) 19(59.4) 2(6.3) 0(.0) 合 計 250(24.7) 584(57.8) 123(12.2) 54(5.3) 出 所 )2009 年 2 月 筆 者 作 成 注 :(この 問 題 の 未 回 答 者 10 人 ) 25